第三部 1979年
戦争の陰翳
険しい道
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津々とわく温泉を泳ぐリィズの裸身が、湯の中から透けて見える。
隣に座ったリィズは、テオドールの姿を見ると、唇をほころばせる。
まだ少女のあどけなさを残した顔に、蠱惑的な笑みが広がった。
義妹に芽生えてきた大人の色香を感じ取ったテオドールは俯き、湯の中に浸った半身に目をやった。
華奢な肩に、細い二の腕。
美しく盛り上がった乳房となだらかなにくびれた腰。
本当に奇麗だ。
こんなに奇麗な義妹を他人の手に触れさせて良いものだろうか……
狂おしいほどの感情が、テオドールの中にのた打ち回った。
それは今までに感じた事のない激情だった。
切ないという感情にも似ているような、嵐のような激情だった。
あえて言うのなら嫉妬だ。
誰に対しての嫉妬だろうか。
でも、今の自分はリィズにふさわしい人間だろうか。
語学の才能があるリィズのように推薦を受け、ギムナジウムに入り、大学検定資格を取るという選択肢は非常に厳しい。
西ドイツの制度は、落伍者に救済する制度がないからだ。
精々なれるのは自動車整備工の資格を取るか、板金や塗装工の道だろう……
自分で、自分が嫌になる。
どうして、マイナスの面にばかり考えるのであろうか……
14歳になるテオドールの進路は厳しいものであった。
画一的な義務教育制度のある東独と違い、西独は戦前からの段階的な教育制度だったからだ。
義務教育は15歳までで、10歳になる段階で進路を決定し、上級学校を選択するしかない。
大学進学を選ぶ場合はギムナジウムしかなく、ここに入らねば職人や土方という筋肉労働の道しかなかったからだ。
そして男の場合は、18歳から45歳までの兵役義務が課されていた。
1956年に制定された兵士法と兵役義務法によって、18か月の兵役が課された。
一応、良心に基づく兵役忌避も可能であったが、厳しい審査と精神鑑定が要求された。
審査委員会での査問を受けるのだが、その際に多少弁の立つものが有利になる仕組みが出来ていた。
その様なシステムなので、口がうまく小狡い者や査問内容を事前に勉強したものが有利になった。
デア・シュピーゲル紙の報道によれば。
1977年の段階で15万人の兵役免除が認められたが、その多くは良家の子弟や大学生だった。
田舎の百姓より、フランクフルトやハンブルクの出身者が優遇される傾向があった、という。
西ドイツでも兵役忌避者の扱いは、よくなかった。
兵役忌避の場合は、20か月以上の代替服務を要求され、大概が土木工事や医療介護などの筋肉労働であった。
後に社会奉仕活動と呼ばれ、若く安価な労働力として政府に重宝されることとなっていく。
有力子弟の間で兵役忌避の方法
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