第七百六十五話 感謝されずともその二
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「和らげることも情、そしてです」
「情は必要ですね」
「人には。ですから」
「布施餓鬼は行うことですか」
「例えどういった人が餓鬼になっても」
それでもというのだ。
「布施餓鬼は行うべきとです」
「お考えになられるのですね」
「そうした時があります」
まさにというのだ、そしてだった。
セーラは百合の花に寄った虫を見た、その虫を追い払おうとも思わずそのうえでさらに言うのであった。
「餓鬼は虫よりもです」
「卑しいです」
ラメダスが答えた。
「仏教の考えでは」
「そうですね」
「虫もまた畜生道となります」
「生きものなので」
「ですから」
そうした存在だからだというのだ。
「畜生道となりますが」
「しかし餓鬼道は畜生道より下です」
「それも遥かに悪いですね」
「人道と修羅道は実は然程違わず」
「畜生道もですね」
「人は魔法で生きものにも姿を変えられます」
セーラも出来ることだ。
「犬でも牛でも」
「左様ですね」
「ですが餓鬼にはです」
「なれないですね」
「餓鬼は心が餓鬼にならねば」
そうでなければというのだ。
「なれません、修羅は争いを好むだけで」
「人とですね」
「実は然程変わりません」
「生きものもですね」
「生きものは家族にも友達にもなれます」
人のというのだ。
「人の言葉は喋られませんが」
「理解出来ますね」
「犬や猫は」
こうした生きもの達はというのだ。
「自然とです」
「人間の言葉を理解しますね」
「何か言えば」
そうすればというのだ。
「普通にです」
「理解しますね」
「そうであるので」
「生きものは人に近いですね」
「犬畜生といっても」
この時代にもある罵倒語である。
「ですが」
「近いですね」
「人と」
「左様ですね」
「ですが餓鬼はです」
この存在はというのだ。
「その生きものよりもです」
「遥かにですね」
「人と離れています」
「そうなのですね」
「生きものと人の違いは本能に近いか遠いか」
「それだけですね」
「まことに然程です」
それこそというのだ。
「変わりません、ですが餓鬼は浅ましさを極めねば」
「堕ちませんね」
「そうですので」
そうした存在だからだというのだ。
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