第百三十七話 閉会式が終わってその四
[8]前話 [2]次話
「言うことじゃないけれど結構ね」
「いるかも知れないのね」
「そうよ」
「何か嫌ね」
「嫌でもよ」
「そうすることは自由ね」
「ええ、というかね」
一華も微妙な顔である、だがそれでも彼女なりに現実を見てそのうえでかな恵に対して言ったのだった。
「そうして発散して悪いことしないなら」
「いいのね」
「だって自分ですっきりしても」
「頭の中でどれだけ想像しても」
「犯罪じゃないから」
このことは事実だからだというのだ。
「いいのよ」
「ぶっかけても」
「それがどれだけ露骨でもね」
欲望が露わになっている行為でもというのだ。
「それでもよ」
「犯罪じゃないから」
「いいのよ、下手に我慢してね」
そうしてというのだ。
「犯罪やるよりね」
「ずっといいのね」
「その被害に遭うのはね」
それはというのだ。
「私達だしね」
「誰にも可能性あるわね」
「七十過ぎの人でもって人もいるし」
「お婆さんでもなの」
「見境がなくてね」
「ああ、何かね」
富美子が嫌悪で満ちた顔で言ってきた。
「世の中そんな人も本当にね」
「いるの」
「そうみたいよ」
「だから自分ですっきりしたら」
「その対象が自分でね」
それでというのだ。
「どんないやらしい想像されてもね」
「犯罪じゃないから」
「実際の被害も出ないし」
「いいのね」
「そこで変に禁欲的だと」
「かえって駄目ね」
「そうよ、宗教でもね」
人の倫理観を形成するものでもというのだ。
「変に禁欲的だとね」
「よくないのね」
「キリスト教の極端な宗派であるわよね」
「何これっていう位に厳しい教えの宗派ってあるわね」
「禅宗は実は食べものは残さず食べるで」
布施で受けたものをだ、常に玄米の粥と少量の漬けもので生きていける筈がないということであるのだ。
「そうした欲もね」
「お寺は同性愛ね」
「そっちはよかったから」
「すっきりしてたのね」
「そうだしね」
「おかしな位禁欲的かっていうと」
「違ったしね、けれどね」
仏教ではそうであるがというのだ。
「キリスト教の極端な宗派だと」
「あれも駄目これも駄目ね」
「生活も何もかもね」
「物凄く厳しくて」
「そうしたことは特にね」
定められた戒律の中でもというのだ。
[8]前話 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ