第三部 1979年
迷走する西ドイツ
暮色のハーグ宮 その2
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環境問題の雑誌「AMBIO」に配布したと言う。
米国亡命後に、カナダの国会議員や国際原子力機関の専門家、国連当局者らをKGBの協力者に仕立てたことを明らかにした。
この様に、史実では、「核の冬」は、KGB第一総局が関わった偽情報工作であることはつとに知られている。
だが、マサキが来た異界では、「核の冬」は、大真面目に信じられていた。
それを補強するようなことが起きてしまう。
BETA戦初期にあったソ連の中央アジアにおける連続核攻撃と、米国によるアサバスカ湖のICBM攻撃である。
米軍の行った核攻撃は、カナダ東部という極寒の僻地であり、人的被害はほとんどなかった。
だが、放射線に対する恐怖からカナダ東部では急激な過疎化が進んだ。
ソ連の場合は深刻だった。
ソ連は、BETAのウラル以西への進軍を防ぐ目的で一度に10発から数十発の核爆弾を投下した。
大部分は光線級に阻止されたり、粗悪な電子部品の為に不発弾となったが、核の影響はすさまじかった。
原爆の閃光や威力は言うまでもなく、予測不可能で長期的な副作用をもたらした。
中央アジアで放射線障害による奇形児の多発や、原爆の戦術的効果より被害が大きいという事態にまで
発展した。
この世界に来てマサキが驚いたのは、時代的にはあり得ない核の冬という言葉がユルゲンたちの口から出た事だった。
どうやらソ連の野放図な核爆弾投下の為に地球慣例化が起きたという説がまことしやかに述べられているようだった。
1976年の世界的な冷夏は、ラニーニャ現象とエルニーニョ現象が続けて起きただけと学術調査で判明しているが、ユルゲンたちは核の冬を疑いもしなかった。
西ドイツ人のキルケやドリスもおんなじ考えだったので、恐らく4発の原爆投下の後遺症だろうと考えるようになった。
核爆弾の被害を受けた日本人として、この異世界のドイツ人の心情は理解することはできるが、納得はできない。
本当に核廃絶を望むなら、米国の核戦力を西ドイツや日本から引き下げるだけではなく、ソ連や中共の核ミサイル基地をすべて爆破解体するところまで進めねば、駄目だ。
日本を代表とする自由主義陣営は、世論を反映した政治体制だ。
政権の基盤は国民の意見や社会の動向によって左右される。
したがって、G7各国の世論がソ連の望む方向に導かれれば、ソ連は労せずして自国優位を維持できる。
この様な工作を一般的に「積極工作」といい、反戦・反核運動は、KGBの十八番である。
核廃絶運動は、実現性は別として、人類の悲願の一つである。
善男善女の想いを巧みに利用し、ソ連の軍事的優位を維持する反核運動の欺瞞。
孫子の謀攻篇にも書かれているように、戦わずして勝つとい
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