第三部 1979年
迷走する西ドイツ
暮色のハーグ宮 その1
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、ブラントの個人的な因縁があった。
ブラントは、第三帝国時代に、ある男に助けられて亡命に成功した経緯がある。
実はその男こそ、東ドイツのスパイ、ギュンター・ギヨームの実父だった。
故にブラントは、恩人の息子であるギヨームの事を切れなかった面があった。
手練れの工作員、マックス・ヴォルフがそのことを知っていて、ギヨームを西ドイツ政界に送り込んだのであろうか?
既に関係者全員が鬼籍に入ったしまったため、真相は全て闇の中である。
「一度や二度、ビルダーバーグ会議を通じて、表に出せない仕事を頼んではいるのではないか。
そのせいで、キッシンジャーの言いなりになっているのと違うか!」
ブラント自身は、キッシンジャー博士と不仲だった。
同じ亡命者であっても、ブラントはドイツに戻り、祖国再建の道を選んだ。
一方キッシンジャーは祖国を捨て、米国で学者の道を選んだ。
そして1957年の「核兵器と外交政策」というベストセラーのおかげで、米国政界に入った。
ユダヤ系という事で、ニクソン大統領補佐官時代、西ドイツにイスラエル支援をするよう要請した。
イスラエル支援は、東方外交という緊張緩和策を進めるブラントには、受け入れられない話だった。
(ちなみにブラント自身は、反ユダヤ主義者でもなく、彼の友人にユダヤ人は多かった。
初めてイスラエルを公式訪問した西ドイツの首脳でもあった)
中近東に対して西ドイツは中立であるとの趣旨の返答をして以来、キッシンジャーはブラントを憎んだ。
そして、かねてより把握していたギヨーム事件が暴露され、ブラントは辞表を提出する。
かくして、1974年に政権の座を追われることとなった。
以上の経緯から、ブラントは人一倍、ビルダーバーグ会議に非常な恨みを持っていた。
言葉を切ると、タバコに火をつける。
銘柄は、R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニーの名品、キャメルであった。
トルコ葉の何とも言えない香りが、室内に充満する。
「……BNDのゲーレンがな……
議会を解散しなきゃ、一切合切公表すると言っているんだよ」
ゲーレンは、週刊誌の「デア・シュピーゲル」の編集部と昵懇の仲だった。
同誌は、1947年創刊の西ドイツの週刊誌で、欧州最大の発行部数を誇る雑誌である。
1960年代初頭、西ドイツ軍は急激な軍拡を進めていた。
その事は東ドイツを刺激し、それまで志願兵制だった国家人民軍に選抜徴兵制を実施させる根拠となった。
東西両陣営での核戦争の危機が高かった時代である。
急速な東ドイツとソ連の軍拡を憂いたケネディは、ゲーレンを通じ、西ドイツ政府に忠告を入れた。
だが、西ドイツ政府は聞く耳を持たず、国防大臣のフランツ・ヨーゼフ・シュトラウスは軍事産業の言いなりだった。
そんな折、デア・シ
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