第三部 1979年
戦争の陰翳
夏日 その2
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で2日かけて、日本に向かう事となった。
随伴用のツポレフ134は、シュタージが保有する三機の航空機の一台であった。
シュタージはKGBやCIA同様に独自の航空隊を持ち、ツポレフ134を2機と、アントノフ24を1台保有していた。
実は軍用のツポレフ154があり、民間機登録もしてあったが、満載時の航続距離が134と同じなので取りやめとなったのだ。
東ベルリンのシェーネフェルト空港から、羽田までの道地は過酷なものであった。
イリューシン62の航続距離が1万キロだったので、途中ダマスカスとラングーンを経由せざるを得なかった。
(ラングーンは、今日のミャンマー連邦のヤンゴン)
東独人にとって南方の地であるシリアとビルマでの給油と機体整備は、不慣れなため半日以上かかった。
機外に降りた議長たちは、シリアやビルマでの臨時の首脳会談を行った。
給油のためとはいえ、足止めされた彼らは、向こうの政府関係者からの接待に応じないわけにはいかなかった。
それに外交問題に関して、今更ソ連に気兼ねする必要もなかったからだ。
今回のサミットへのオブザーバー参加は、元々東独の地位安定化のためである。
国連による世界各国間の調整機能がほとんど意味が失われた現在、頼るべき相手は西側しかなかったのも大きい。
シリアやビルマは社会主義政権ではあるが、ソ連や西側との間を上手く行き来し、援助を受け取っていた。
かの国の首脳にあって、その顰に倣おうとしていた面も否めなかった。
東独の経済的低迷は致命的なものだった。
BETA戦争の結果、頼みの綱であるソ連からあらゆる資源が入って来なくなり、工場群は停止した。
僅かばかりある褐炭を掘り起こして、電力需要を満たそうとしたが、それも輪番停電などをして工場に回すのが精いっぱい。
友邦諸国のチェコスロバキアやハンガリーは、原発の建設が終わっているが、分けるほどではない。隣国ポーランドは、BETA戦争の影響で、国内のロジスティックが破綻している。
西ドイツに頼るにしても、難しかった。
シュタージが行ったテロ作戦や壁のせいで、西独の国民感情は最悪だった。
まさに八方ふさがりの状況だった。
それ故に、東独は日本を頼るしかなかったのだ。
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