第三部 1979年
戦争の陰翳
夏日
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ブルク311ではなく、ソ連製のジル114だった。
このソ連製の高級車を、東独の要人たちは、GAZのチャイカと共に好んで使った。
中から降りてきたのは、薄い水色のシャツに灰色のスラックスという略装の航空軍司令官。
この四角い眼鏡をかけた男は、国防副大臣の一人でもあった。
そしてもう一人の陸軍将官は、シュトラハヴィッツだった。
彼は、真夏というのにワイシャツ型の略装ではなく、杉綾織のジャケットに、乗馬ズボン。
灰色の姿は、まるで1940年のフランス戦でのドイツ軍のそれであり、国章以外は全く同じつくりであった。
二人の来訪で、基地の機能は完全に止まった。
司令部への報告や決済は後回しにされて、近くにいた将校はその対応に追われた。
わずか二人のVIPのために、師団司令部が混乱したのはなぜか
東独軍は、ソ連式の軍事ドクトリンを採用しており、そのすべてが上意下達型だ。
大隊、連隊規模では考えることはなく、ベルリンにある最高司令部の命令で動く。
その為、司令部要員の数も、司令部の規模も小さく、中隊長が大隊の幕僚を務めた。
また、訓練された下士官団は存在したが、それは西独軍に比して規模が小さかった。
そして、本家本元であるソ連赤軍では、下士官団が存在しなかった。
ゆえに、下級将校は西側でいうところの下士官の仕事をせねばならず、負担が大きかった。
ソ連赤軍や衛星国の軍隊では、下士官とは、あくまで志願兵やその類である。
特殊な技能を持つ兵士や、定期雇用の一つでしかなかった。
「総員、傾注!」
裂帛一声、その場にいた将兵は気を付けの姿勢をとる。
「同志副大臣並びに、同志将軍に敬礼!」
彼等は、壇上の上にいる人物に礼を行い、それを受けた副大臣は教本のような見事な返礼を送った。
男の名前は、ハインツ・ゾルン(1912〜1993)。
彼はかつて第三帝国時代のドイツ空軍に将校として10年間勤務した後、ソ連軍の捕虜になった人物だった。
1949年までソ連に抑留され、反ファシスト学校での再教育後に、東独に戻った。
SEDの幹部となった後、兵営人民警察に入隊し、1956年に人民航空軍少将になった人物である。
だがゾルン少将の様な旧軍人は、SEDお気に入りの新将校と違い、手ひどい扱いを受けた
1957年2月15日のSED政治局の決定により、旧軍関係者は、段階的に退役させられることとなったのだ。
旧軍関係者を信用できない指導部は、段階的に彼等を退役させ、実戦経験のない人物に任せることとしたのだ。
この結果、軍上層部は、参謀経験のある老練な将校が払底し、党や指導部におべっかを使う人物であふれた。
またゾルンが追放されたのは、当時の国防相ヴィリー・シ
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