第三部 1979年
迷走する西ドイツ
シュヴァルツェスマーケンの主要人物の考察
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ツ少将は、ハイム少将とほぼ同年代で従軍経験があることから、作中では恐らく50代。
エルネスティーネは、婦人兵か、軍属。
シュトラハヴィッツ少将は、ハイム将軍の仲人で、エルネスティーネと結婚した。
原作中での明確な言及はなかったが、将軍と夫人とはかなり年齢差があった事がうかがえる。
エルネスティーネの死因は、本編では明らかにされていないが、産後の医療ミスによる事故死であることが、『隻影のベルンハルト』の雑誌掲載分で明らかになった。
シュトラハヴィッツ少将は、1968年当時、チェコスロバキアに派兵された経験がある第7装甲師団の師団長。
史実での師団長は少将で、従軍経験のある人物だった。
(モデルとなったヴェルナー・ヴィンター(Werner Winter)氏は1923年生まれで、101歳。
今もご健在のようだ)
リィズ・ホーエンシュタイン
父:トーマス
母:マレーネ
トーマスは劇作家で、マレーネは女優。
映画「善き人のためのソナタ」(原題: Das Leben der Anderen.2006年)をモデルにして作られた節がある。
原作中では、冬季の危険な越境を行い、シュタージ配下の国境警備隊に射殺される。
なお、史実では越境以外にも公式の亡命ルートがあり、弾圧に耐えて、待てば、出国できた。
人質のために西ドイツは1万ドル相当の身代金を払い、東ドイツから購入していた。
ちなみに国境警備隊は、1961年の創設以降、国防省の管轄であった。
劇中の国家保安省の下部組織というのは、明確な誤りである。
東独国境での越境は危険で、無警告で射殺するようにホーネッカーが指示を出していた。
ミルケやヴォルフは、ホーネッカーによる射殺命令を知っていたが、知らぬと答えて、後に虚偽罪で収監された。
(後にミルケは高齢のため、ヴォルフは恩赦で出獄した)
キルケ・シュタインホフ
祖父:ヨハネス・シュタインホフ将軍
キルケの家族構成は、公務員の両親と年の離れた弟である。
婚姻に際して夫の姓を名乗る西ドイツの制度を考えれば、キルケの父親は、シュタインホフ将軍の子息である。
(西ドイツの民法で統合姓が認められたのは1975年以降。夫婦別姓は1992年以降)
シュタインホフ将軍は実在の人物で、ルフトバッフェのエースパイロットだった人物。
ヨハネス・シュタインホフ(1913年9月15日-1994年2月21日)。
178機撃墜のエースパイロットだったが、終戦直前の航空機事故で大やけどを負い、全身に跡が残った。
その為、戦後の肖像写真ではいつもサングラスをかけるようになってしまった。
1969年に、靖国神社を公式参拝した際に記念植樹をしたこと
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