第三部 1979年
迷走する西ドイツ
卑劣なテロ作戦 その2
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。
記録によれば、シュタージの非公式協力者は、西ドイツだけで6000人以上いたとされる。
立派な防諜組織のあるドイツでこれである。
スパイ防止法のないわが日本では、恐ろしいほどの非合法工作員による赤い蜘蛛の糸が張り巡らされていることやら。
KGBやGRUなど、敵国のスパイ機関から国民を守る組織がないのだ。
実に恐ろしい話である。
さて、閑話休題。
話をソ連の外交政策に戻してみよう。
ソ連の外交政策は、一貫して、近隣国家の弱体化である。
それは、日米欧の離間であり、急速に接近する日米中の関係崩壊である。
今回のマサキと西ドイツでの事件は、結果としてソ連を、KGBを元気づけることとなった。
ソ連は帝政ロシア以来、スパイ工作を外交方針の重要局面に置いた。
ソ連の諜報機関であるKGBでは、その傾向が強く、スパイに対するある種の信仰ともいえる思想が根付ていた。
その思想はチェーカー主義とも呼ばれるもので、全世界のどこにでも、敵のスパイが潜入し、体制転換の陰謀を企てているとする世界観である。
KGB長官、ユーリ・アンドロポフも、その例から漏れなかった。
彼はソ連の核戦力を質で凌駕する米国の核戦力、コンピューター技術を前にして、ある結論に至った。
それは、米国がソ連に対して先制核攻撃を仕掛けるという物であった。
このことはアンドロポフに東ドイツへの介入をすすめさせる遠因となった。
必死になってソ連の先制核攻撃を止め、スパイ工作での弱体化を図ろうとしてたソ連の幹部や東側諸国を信用していなかった。
ソ連指導部どころか、KGBも信用しなかった男である。
シュタージ幹部のミルケやヴォルフ達の事は、なおさら疑う事となった。
そこで、自らの甥であるエーリッヒ・シュミットこと、グレゴリー・アンドロポフを強引にシュタージに送り込み、東ドイツの再教育を狙ったのだ。
その際、予想外の事が起きる。
BETA戦争の真っ只中に現れた天のゼオライマーと、木原マサキという存在である。
マサキ自身も、謀略を用いて世界征服を狙った人物であったので、ソ連の弱体化を狙って、東ドイツに接近した。
そして、KGBからの妨害を受けると、これ幸いと、ソ連に乗り込み、大暴れする。
白昼堂々、ハバロフスク空港で、ブレジネフとアンドロポフを暗殺してしまった。
アンドロポフの妄想は、自らの死をもって、図らずも実現してしまうこととなった。
この事は、KGB職員たちの胸に、まぎれもない事実として、刻まれたのだ。
ある種、KGBの病的な誇大妄想は、ソ連国内のみならず、外国にも向けられた。
西欧最大の対ソ国家・西ドイツと、極東最大の自由の拠点である日本に対してである。
彼らは戦後の混乱期、いや戦前から長い時間をかけて、
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