第三部 1979年
迷走する西ドイツ
卑劣なテロ作戦 その3
[1/3]
[8]前話 前書き [1]次 最後 [2]次話
今回のドイツ赤軍の襲撃事件はタイミングがあまりにもよすぎる。
政府関係者が背後にいるのは間違いない……
どう考えてもそのような結論に行きついたマサキは、殺したばかりのドゥチュケの手荷物を漁った。
麻布で出来た薄汚れた背嚢から出てきた、黒革の手帳を何気なしに手に取る。
鍵付きの手帳という事は、恐らく機密文書であるのは間違いない。
鎧衣に鍵を開けさせると、そこにはドゥチュケが生前に親交のあった人物の名前が書き記されていた。
日記帳に顔を近づけて、書きなぐった名前を見る。
ゲルト・バスチアンと読めた。
ドイツ連邦陸軍の少将で、平和のための将軍団の主催者だった。
ソ連崩壊後に露見した文書によれば、KGBが青写真を描いて、シュタージが資金援助し、マックス・ヴォルフが設立を準備した団体だった。
平和のための将軍団の代表取締役は、ゲルハルト・カーデという経済学者だった。
彼はシュタージの中央偵察局の非公然工作員であり、またKGBの協力者だった。
1974 年 12 月 7 日に設立された「平和・軍縮・協力のための委員会」の主要メンバーである。
同団体はケルンの出版社パール・ルーゲンシュタインの住所に本部を置いていた。
東ドイツから資金援助を受けて、反戦平和運動の人脈網を構築していた。
シュタージ、KGBは同団体を通じ、自分たちの宣伝煽動のために、影響力のある人物を調略していた。
マサキは、怒りで体が熱くなった。
ここの人物の名前が雑然と書いてあっても、ある程度の意味は理解できた。
日記帳に書かれているのは、ほぼ全員がKGBの代理人であり、シュタージの手によって踊らされた馬鹿者たちである。
ゲルト・バスチアンという男の顔が見たくなった。
顔を見たらただでは済まないのは思ったが、手帳を鎧衣に渡すと、ゼオライマーに飛び乗った。
キルケにもらったドイツ連邦軍の将校名簿から勤務地を探して、ファイツヘーヒハイムの第12装甲師団に電話した。
日曜日という事で、バスチアンは来ていなかった。
それは、あらかじめ予想していたことだった。
電話は、英語訛りの強いマサキだとバレる可能性があるので、美久が行った。
美久は、第4装甲擲弾兵旅団時代の部下の妻という立場を演じた。
「第4装甲擲弾兵旅団時代の部下の妻ですが、近いうちに戦友会をやるんでバスチアン閣下に連絡をしたいのです。
恐れ入りますが、ご住所と電話番号を教えてほしいのですが……」
そういうと交換手は、バスチアンの自宅と電話番号を教えてくれた。
この時代は、現代と違って電話の加入者が少なく、電話を持っているのが名士に限られたからである。
推論型AIの合成音声で電話を掛けた美
[8]前話 前書き [1]次 最後 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ