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冥王来訪
第三部 1979年
迷走する西ドイツ
脱出行 その2
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 なぜ西ドイツ政界が、BETA戦争に裨益した天のゼオライマーを憎み、マサキを敵視するのか。
それは、極東の小国・日本が超速の勢いで経済発展をすることと無関係ではなかった。
 繊維を代表する軽工業、自動車など重工業。
そればかりではない、時計、刃物などの伝統工芸も……
世界大戦後の欧州の生活の糧を、みんな日本に奪われてしまった。
 小麦でさえ、日本の農林省が開発した農林10号に殆ど置き換わってしまった。
小麦農林10号は、日本で育成された品種である。
半矮性遺伝子(草丈が短くなる遺伝子)を持つため、背が低く茎が強靱である。
 短く強い茎は、重い穂を支えて倒伏しにくい。
最大の特徴によって、小麦の収穫量を大きく増加させ、「緑の革命」を実現させた。
 この「緑の革命」を行い、ノーベル賞を受賞したノーマン・ボーローグ博士。
彼は、この農林10号なしには研究は成功しなかったと述べたという。
 
 ドイツはもともと、黄色人種への差別感情の強い地域であった。
19世紀後半の黄禍論が、この地から盛んに起こったことも無関係ではない。
 1914年に起きた第一次大戦の結果、ドイツは全植民地と領土を失った。
当時の日本は、連合国として参加し、戦勝を収めた。
 賠償金の代わりとして、ドイツより南洋群島と青島(チンタオ)を割譲した。
その事はドイツ国民にとって、深い恨みとなって残っていた。
隣国オーストリア出身のヒトラーも「我が闘争」の中で、日本人への警戒心を隠そうともしなかった。

 このことは、あの乾坤一擲の戦いを挑んだ大東亜戦争に関しても同じである。
日本は、一敗(いっぱい)地に(まみ)れ、占領の恥辱を得て、数々の海外領土を失った。
 だが欧州はそれ以上であった。
 英国は、英領インドとマラヤを失い、フランスは仏領インドシナを失った。
昔日の栄光を失った両国にとって、日本の存在はどう映ったであろうか。
だが過去の恨みよりも、急速に力をのばすソ連や中共の事を恐れ、日本との関係改善を模索した。
 オランダは、300年以上支配してきた蘭領東インドをうしない、そこから得る利益を断たれた。
その恨みは骨髄にまで達し、国民はおろか、蘭王室まで日本を憎悪した。
 ここで、一つ史実の世界を元に、蘭王室や蘭国民がどう日本を考えていたかの例を示したい。
1971年(昭和46年)10月、先帝陛下(昭和天皇)がオランダを訪問した折の事である。
 鹵簿(ろぼ)の中心にあった鳳輦(ほうれん)に対して、魔法瓶が投擲される事件が起きた。
幸い、窓ガラスにひびが入っただけで済んだが、これが爆弾や危険物であったのならば、一大事であった。
同日の内に、日本大使館の窓ガラスにレンガが投げ込まれる事件も起きた。
 このことは、国そのものでもある宸儀(
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