第三部 1979年
迷走する西ドイツ
脱出行 その1
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夜陰に紛れて、マサキ達はシュタルンベルクを北上した。
警備の手薄な一般道を通って、ミュンヘン市方面に向かう。
ミュンヘン近郊に着くと、鎧衣が懇意にしているという一軒の家に案内してくれた。
「あんまり走り過ぎても、国境警備隊の網に引っかかることもある。
ここで、少し時間を置こう。タイミングを外す事も必用さ」
南ドイツによくある、二階建ての白い百姓家。
外には、何やらドイツ語で書かれた看板がかかっていた。
「空き部屋あります」
「地酒・ワイン販売中」
ワイン用のブドウを栽培する農家なのだろう。
予約無しでも泊まれるのだろうか……
マサキがそう懸念していると、奥から、その家の妻らしき人が出てくる。
鎧衣は、家人に一言二言尋ねてみると、二つ返事で家に上げてくれた。
マサキたちが民宿に入る際、鎧衣はこう告げて外に立ち去って行った。
「二部屋取るから、気兼ねしないで休み給え。
私は私で、情報収集に行ってくる」
鎧衣は、なぜ民宿を選んだのか?
それは司直の手が及びづらいというのもあるが、単純に予約なしで泊まれる安宿だったからでもある。
当時の西ドイツでは、国策で農村休暇という物を行っていた。
農家民宿という物に補助金を出して、都市住民の余暇を推奨していたのだ。
ドイツでは18世紀以来、都市部の知識人や貴族層が村落に出向いて夏の余暇を過ごす習慣があった。
その慣習は19世紀から20世紀になって、都市労働者や一般庶民にも伝播し、夏の風物詩となった。
東西分裂した両ドイツでもその慣習は維持され、このような避暑地の開発が進められることとなった。
このことは、逃避行を続けるマサキたちにとっては、好都合だった。
司直の影響が及んでいない村落で、金さえ払えれば安く泊まれるからだ。
またドイツ人のキルケを同伴していたことも行動をしやすくさせた。
傍から見れば、マサキとキルケは若い夫婦にも映ったからだ。
案内された部屋は、ユースホステルともホテルとも違う、小奇麗ながらも一般的な民家の一室だった。
百姓家の妻は、マサキの事を訝しむふうでもなかった。
西ドイツは従前の労働力不足から、外人の季節労働者が多数入っていたからである。
ワイン農家などは、トルコ人や韓国人の出稼ぎ労働者などもいたので、気にしなかったのである。
マサキは、シャワールーム付きの部屋に案内されると、旅装を解いた。
軽くシャワーを浴びた後、着替え、ベットに倒れ込むようにして横になる。
そして、靴を履き直すと、拳銃を抱いたまま、ひと時の安らぎに着いた。
鎧衣は、その村に一件しかないガソリンスタンドに出向いた。
そこで電話を借りると、ニューヨークの国連日本政府代表部に電話を掛けた。
30分ほどのち、日本政府代表部の電
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