第百三十話 寮生の弁当その四
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「全くよ」
「わからないのね」
「これがね」
こう理虹に話した。
「地元でもね」
「世代間のギャップってやつね」
「それよ、西郷さんが使っていた鹿児島弁は」
当時は薩摩弁といった、国の名前がそうであったからだ。
「他の薩摩藩の人達のものもね」
「わかりにくかったのね」
「もうね」
それこそというのだ。
「無茶苦茶ね」
「今の鹿児島の人達もわからないのね」
「何て言ってるかね」
これがというのだ。
「そうはね」
「それ有名なのね」
「あの、真田家ね」
鹿児島の娘は理虹に真面目な顔で話した。
「公じゃ大坂の陣で死んだってなってる」
「幸村さんね」
「あの人実は薩摩に逃れてたでしょ」
「秀頼さんを連れてね」
理虹も応えた。
「そうだったのよね」
「十勇士の人達と一緒にね」
「歴史じゃ大坂の陣で戦死したってことになってるのが」
「実は薩摩藩に匿われて」
「苗字を変えてね」
「そしてね」
そのうえでというのだ。
「江戸時代の間ずっと」
「幸村さんは一度十勇士の人達と一緒に世界の冒険に出たらしいわね」
「それから帰って暫くして世を去ったらしくて」
「それで子孫の人達はずっと薩摩藩にいて」
「言葉もね」
話すそれもというのだ。
「昔の薩摩弁だったのよ」
「そうだったのよね」
「それで維新になって」
明治時代が終わってというのだ。
「そのうえでね」
「神戸に出て」
「八条財閥の社員さんになったのよ」
「うちの学園じゃ有名なお話よね」
「それで今もね」
鹿児島の娘はさらに話した。
「真田家の人達も十勇士のお家の人達も神戸に暮らしていて」
「それぞれのお家の分家の人達は大阪とかにも暮らしてるわね」
「その人達がね」
まさにというのだ。
「神戸に出た時はね」
「薩摩弁だったのね」
「江戸時代の間代々薩摩藩にいたから」
「薩摩弁ね」
「それで地元の人達と最初は」
「やり取りしにくかったのね」
「言葉の壁ってあるから」
それ故にというのだ。
「相当大変だったみたいよ」
「昔の薩摩弁ってそこまで大変だったのね」
「今でも九州の言葉って訛り強いっていうでしょ」
「東北とね」
理虹は真面目に考える顔で答えた。
「そう言われてるし実際ね」
「強いでしょ」
「私から見てもね」
「それも東北だと北に行けば行く程で」
「九州は南だっていうのね」
「そう、それでね」
そうした風であってというのだ。
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