暁 〜小説投稿サイト〜
冥王来訪
第三部 1979年
迷走する西ドイツ
忌まわしき老チェーカー その4
[4/5]

[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話
ジャック事件(1974年(昭和49年)1月31日『いわゆるシンガポール事件』)
シンガポール事件に呼応して起きた在クウェート日本大使館占領事件(1974年2月6日)
 この一連の赤色テロリズムは、西側の世人を恐怖のどん底に陥れ、相互の国家間の不振を抱かせることに成功した。
 
 当時のBNDは、東ドイツのシュタージ同様に、中近東への秘密工作を進めている最中であった。
それは1973年の石油危機の影響の為である。
 BND現長官のクラウス・キンケルも同様の策を進めていた所である。
だがゲーレンら古参幹部とキンケル長官は、非常に不仲であった。
 キンケル長官は、元々軍人や諜報畑の人間ではなかった。
内科医の父を持ち、司法試験に合格した法曹の専門家であった。
郡役場の吏人を起点にして、1968年に内務省に採用され、中央の官界に入った。
 当時内相であったゲンシャーによって見出され、彼の個人秘書を務めた。
その際、憲法擁護局から接触があって、情報の世界に入った。
 親であるゲンシャーが外相になると、外務省に移って、企画部長を務めた。
そして、BNDと外務省企画部の人事交流を進める方針を示した。
 1979年1月1日、ゲーレンの信任が厚かったヴィッセルに代わってBND長官となる。
弁護士出身ということもあり、人権の観点から東ドイツへの積極的な工作を進めることとなった。
 だが彼の方針は、ゲーレンら長老閥との折り合いが合わなかった。
キンケル長官のあまりにも情熱的な人権外交とやらに、辟易していた面があったのも事実である。
 東ドイツでの諜報作戦が失敗していたのも大きい。
彼の長官時代はKGBやシュタージの間者が堂々と暴れまわっている時代でもあった。
 


 マサキがバイエルン州を訪れた情報は、その日の夕刻にはすでにボンに通報されていた。
事態を重く見た首相は、緊急の秘密閣議を行う事となった。
 連邦議会副議長ショルシュ・レーバーが忌々しげにつぶやいた。
「日本の奴らめ……
進退窮まって、ゲーレンの所に泣きついたか」
 不愉快そうなうめき声が漏れる。
それは当然の結果であった。
 レーバーはギヨーム事件のあおりを受けて、BNDに電話盗聴をされていたからだ。
今の首相であるヘルムート・シュミットが引き留めていなければ、そのまま政界から引退するつもりでもあった。
「超マシン、ゼオライマーの機密情報が手に入るのは結構だが……
木原は、なあ……」
レーバーの問いに対し、キンケルBND長官が応じる。
「しかし、木原マサキは、ゼオライマーの開発者でもあります」
「超マシンは、たしかに、核戦力を持たぬ、この国の切り札となる。
独ソが親密度を深める以上、我々にも保険がいる」

 西ドイツは、1960年代以降
[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ