第三部 1979年
戦争の陰翳
東京サミット その3
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口にするのはタブーだった。
資本主義的堕落の傾向とみなされ、最悪、懲役刑が待っている可能性があったからだ。
また米国に関して言えば、ソ連の衛星国という事で敵国の宣伝煽動を防ぐ意味合いから、否定的な宣伝以外は回避された。
ソ連とは違い、一応、ロック音楽やジーンズなどは入ってきていたが、当局の意図に沿う形に修正されたものだった。
ソ連のようにボロ布で闇のジーンズを作ったり、レントゲン写真を削ってレコードの音を複製する様な事はしないで済んでいた。
それでも闇屋が横行し、西ベルリン経由でジーンズを輸入したり、教会でロック音楽のレコードを掛けたりしていた。
日本に関する報道が許されたのは、米独と違い、直接の対立関係になく、地理的に遠かったのも大きい。
また日本も敗戦国だったので、その戦後復興や発展ぶりが東独で参考にされた部分もある。
日本人自身も、容共人士を中心に東独を詣でて、共産主義的な教育方針などを視察し、教育現場の参考にしようとしたり、比較対象として研究が進んでいた面もあった。
そういう事もあって、ダウム少佐はすんなりと日本国内に入れたのだ。
無論、内務省や情報省は、この外人に対して何もしなかったわけではない。
密偵を仕立てて、密かに尾行することにしたのだ。
ダウムは、流れ出る汗を拭きながら言った。
半袖姿で、先ほど買ったばかりの扇子で扇いではいるが、暑くてたまらない様子だ。
「君の国は、フィンランドのサウナより酷いところなのだな」
ZDF(ドイツ第二放送)のアナウンサーより流暢なドイツ語が返ってきた。
30度近くだというのに、きっちりとパナマ帽と夏物の背広を着こなしている。
「無茶苦茶な事を言ってくれるな」
ネクタイこそ緩めてはいるが、上着を脱ぐそぶりすら見せない。
日本人は夏の暑さに慣れているというが、本当にそうなのだろう。
「確かに湿度は50パーセント以上あるが……」
「この時期には毎日、日射病で死者が出ていると新聞で報道されているそうじゃないか」
ダウムは、サングラス越しに目を細めた。
上野公園のアスファルトからの日光の照り返しは、比較的涼しい国であるドイツの国民にとって、強烈なものだった。
「極端な話さ」
明瞭なドイツ語で、彼の傍にいた日本人が答えた。
大通りを行き交う車や、道路の反対側にある商店街を見ている。
「建設作業者や運動部に入っている学生が日射病で倒れることはあるが、暑さだけで死ぬ事はないな。
何なら、ラムネでも奢ってやろうか。
ここが温帯であることを忘れるほどの爽やかさだ。
冷えたものなら、多分、米国製のスプライトよりもおいしいぞ」
「冗談じゃない」
その話を聞いて、ダウムは余計に暑さを感じた。
「ソーダ水を飲んだぐらいじゃ、
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