第三部 1979年
戦争の陰翳
東京サミット その1
[1/4]
[8]前話 前書き [1]次 最後 [2]次話
1975年に始まった先進国首脳会議。
この度、極東で初めて開催されることとなり、その会議の場は日本第二の都市、東京と決まった。
首都の京都ではなく、なぜ東京になったのか。
それは、外国要人の京都訪問を嫌がった、武家の都合によるところが大きい。
明治維新を経験していない、この世界では、いびつな形での攘夷思想が存続された。
万世の君を頂く帝都に、不埒な異人を入れるとは。
その様な意見が、帝室に近い堂上公家や武家から出されたため、政府は彼らをなだめるために、会議の場を東京に移した。
また、交通の面からも東京は京都より優れていた。
古い中世の遺構の残る京都と違って、東京は関東大震災で街の殆どが焼けたため、比較的早い段階で近代的な街並みを作ることに成功していた。
マサキは、今回のサミットにあたっても、関わらざるを得なかった。
武家でも、官僚でもない、一人の雇われ軍人ではあったが、G7各国とは関係を持っていた。
そういう事で、ふたたび榊政務次官の公設秘書的な役割で、所属している城内省から国防省に出向扱いになっていたのだ。
榊次官と共に、マサキ達は、東京に滞在することとなったのだ。
さて、当のマサキ本人といえば、東京市内を、美久と共にドライブしている最中であった。
二台の750tの大型バイクにまたがり、夜の首都高を爆走していたのだ。
戦前のアールデコ様式のビルディングが並ぶ中に浮かぶようにある、江戸城と靖国神社。
江戸時代に建てられた徳川氏の霊廟や、大小さまざまな武家屋敷なども、そのまま残っている。
まるで、昭和初期の時代に、タイムスリップしたような感覚に襲われる。
実に奇妙な体験であった。
この世界では1944年に日本が降伏したので、1945年の東京大空襲がなく、既存のインフラが残ったのも大きかった。
東京の再開発は、関東大震災以降行われず、せいぜい首都高が整備されたぐらい。
大きな違いは、10本に渡る環状道路が、すでに戦前の時点で実現している点であった。
現実の世界では、2024年の段階で、計画から70年以上たつのに、いまだ外郭環状線が未完成の状態である。
翌日、マサキは鎧衣に英国領事館近くのダイヤモンドホテルに呼び出された。
半蔵門線からすぐそばにあり、1階にある中華レストラン「金剛飯店」で食事をする約束になっていた。
席に案内されたマサキを待っていたのは、白いスーツに灰色のネクタイをした人物だった。
白人で、気障ったらしいレイバンのサングラスをかけているも、精悍な顔立ちがはっきりわかるほどだった。
「君が木原マサキ君だね。ゲーレンとの一件は聞いているよ」
マサキに挨拶をしてきた五十がらみの男は、ビジネスマン風の感じだった。
[8]前話 前書き [1]次 最後 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ