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金木犀の許嫁
第十四話 真田家の人その三

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「結構長い間大坂にいたのよ」
「幸村さんが大坂にいたから」
「秀吉さんにお仕えしてね」
 その関係でというのだ。
「その間ね」
「大坂におられたのね」
「それで関ケ原でね」
 秀吉没後のこの天下分け目の戦においてというのだ。
「西軍につかれたけれど」
「幸村さんお父上と一緒に負けて」
「お城は守り抜いたけれどね」
 信州上田城である、この城に東軍の別動隊であった中山道を進む徳川秀忠の大軍を釘付けにしたのである。
「戦自体は負けて」
「お家取り潰しになって」
 東軍についた兄の家は残った。
「それで高野山の方によね」
「流罪になったのよ」
「それで大阪の陣までは」
「ずっとそこで浪人だったのよ」
「真田紐作って売ってたのよね」
「そうしていてずっとね」 
 大坂の陣までというのだ。
「十三年位ね」
「高野山の方におられて」
「そこの人達ともお付き合いしていたから」
 地元の人達との関係はよかったという。
「幸村様お言葉は結構ね」
「関西ね」
「そうだったかもね」
「長野の方でも」
「それでもね」
 生まれはそうであるがというのだ。
「あの方は」
「かなり関西におられたのね」
「実はね、それで大坂の陣の後は」
「秀頼公お護りして密かにね」
「薩摩まで落ち延びられたのよ」
「私達のご先祖様も一緒だったのね」
「十勇士がね」
「どの人も戦死しないで」
「薩摩まで逃れて」
 そうしてというのだ。
「あちらで密かによ」
「江戸時代の間生きていたのね」
「そうだったのよ、それが維新になって」
「神戸に出て今の私達がいるのね」
「ここにね、面白いでしょ」
「歴史ね、ただ薩摩弁は」
 夜空は真昼にあらためて話した。
「私どうもね」
「わからないでしょ、私もよ」
「わからないわよね」
「日本語には思えないわ」
 そこまでのものだというのだ。
「おいこらっていうのもね」
「元々薩摩弁よね」
「もう挨拶みたいにね」
 その感じでというのだ。
「おいこらってね」
「言ってたのよね」
「怒られている様な言葉だけれど」
 おい、とかこら、は今ではそうしたニュアンスでの言葉だとされている。少なくとも普通の状態では使われない。
「薩摩弁じゃね」
「声をかける時に」
「普通に使っていたのよ」
「それで薩摩の人達が明治政府に多かったから」
「定着したのよ」
「そうよね」
「いや、薩摩はね」
 この藩はというのだ。
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