第百二十二話 人間としての差別その七
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「攻めて土地と命を奪ってね」
「居留地に入れたから」
「そうした人達だから今もね」
「居留地から出てもなのね」
「苦しいみたいよ」
「そうなのね」
「人種的にはアジア系でも」
そうであってもというのだ。
「日系人や中国系とはね」
「違うのね」
「ネイティブのスポーツ選手と科歌手とか学者さんってね」
「いないの」
「そう言われて私知らないわ、政治家だってね」
この立場の人達もというのだ。
「アジア系の人とかいても」
「アフリカ系とか」
「ネイティブの人はね」
「いないのね」
「ほら、ハワイの空港は」
妹にこちらのことも話した。
「ダニエル=イノウエ空港っていうでしょ」
「日系人の政治家さんよね」
「二次大戦で活躍したね」
そしてその時に片腕を失っている、ドイツ軍だけでなく差別とも戦い勝利を収めた英雄と言われている。
「その人がいたし今もね」
「日系人の人いるわね」
「アメリカでもね。けれどね」
それでもというのだ。
「ネイティブの人になると」
「本当に少ないわね」
「日本人ってね」
理虹は今度は自分達の話をした。
「縄文系と弥生系が混血していて」
「そうみたいね」
「アイヌの人達ともね」
北海道にいるこの人達ともというのだ。
「混血して一緒になってるけれど」
「あちらもでしょ、アメリカ人ってむしろ日本人以上にね」
「混血してるわね」
「そうでしょ」
「それでもそこに宗教あるでしょ」
アメリカはというのだ。
「カトリックとかプロテスタントとか」
「アメリカってプロテスタントの人多かったわね」
「ええ、最初からね」
建国当初からというのだ。
「今は違うかもしれないけれど」
「カトリックの人も増えてるのね」
「ヒスパニックの人が増えてね」
中南米はカトリックが多くそこにルーツがある彼等もそうであるのだ、ヒスパニックの教会では音楽はパイプオルガンではなくギターである。
「そちらもよ」
「そうなのね」
「この問題もあるのよね」
「ややこしいわね」
「だから宗派が違って」
その為にというのだ。
「結婚出来ないとかもね」
「あるのね」
「そうよ」
実際にというのだ。
「これがね」
「そうなのね」
「それでね」
理虹はさらに話した。
「ネイティブの人達を改宗させたりとかもね」
「あったのね」
「キリスト教にね」
彼等の元々の信仰、精霊等へのそれからだ。
「そうしたこともあったのよ」
「それ無理にだったり善意の押し付けよね」
「今から見たらね」
理虹も否定しなかった。
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