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夢幻空花(むげんくうげ)
九、Cogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit. (吾思ふ、故に吾不安になる。そして、吾を超える。)
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うに表せるのはそれは時間のほんの一面しか捉へてをらず、時間もまた、思考のやうに過去と現在、過去と未来、未来と現在などを往還してゐて、とはいへ、「在る」と現在看做せてしまふのは、存在は現在に常に拘束されてゐると看做せなくもない。つまり、潜水艦の潜望鏡のやうに存在はちょこっと存在のほんのほんのほんの一部だけは現在といふ事象に顔を覗かせてゐるが、その内実は去来現を自在に飛び交ふ思考=時間がそのどでかい図体を潜水艦本体のやうに去来現に隠してゐるのではないか。ここで物理学のストークスの定理を持ち出せば、円運動をしてゐると、その法線上の運動に変換可能なことから、思考=時間が堂堂巡りに代表される円運動をしてゐると、図らずもその法線上に線上の、つまり、潜水艦の潜望鏡のやうな事象が現はれ、それが海面上を、つまり、現在に軌跡を残しながら航行するが如くに思考=時間は現在に在る存在とは直角を為す不可視の運動体として大渦を巻いてゐると看做せるのではなからうか。そして、闇尾超はその大渦をして杳体と名指してゐたのではなからうか。闇尾超の目には何を見ても其処に次元事象の違ふ大渦の渦動が見えてゐたのではないのではないだらうか。さうならば、全てにおいて合点が行く。だから、Cogito, ergo sum.ではなく、Cogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit.なのか。

 私は其処で、闇尾超のNoteから目を離し、天井を見上げた。闇尾超にはこの天井にも大渦を巻いた渦動が見えていたのか。闇尾超よ、それは物自体へ限りなく漸近したといふことではないのか。闇尾超がいってゐた杳体の正体とはカントの物自体に限りなく近しいものだったのかもしれぬ。闇尾超がもうこの世にゐないのが口惜しい限りだ。もっと彼と議論を重ねておけばよかった。後悔先に立たずとは将にこのことで、私は恥ずかしながら、涙を流してゐたのである。

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