九、Cogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit. (吾思ふ、故に吾不安になる。そして、吾を超える。)
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はどうあっても堂堂巡りの土壺に嵌まらずしては二進も三進もゆかぬ性質をしてゐて、どん詰まりのどん詰まりで閃くものには違ひない。闇尾超のいふ通り思考は絶えず吾を超えやうと藻掻き苦しみ、苦悶の果てにやうやっと閃くものであるが、それをして闇尾超はデカルトに一杯食はせて見せたか。しかし、闇尾超がCogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit.といふ結論へと至るには何度血反吐を吐いたことだらう。それは想像に難くない。闇尾超のCogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit.といふ結語にはある覚悟が感じられる。それは死しても尚、魂魄は命脈を保ち、搏動してゐるとこの闇尾超のNoteが饒舌に語ってゐることからも解る通り、デカルトに一杯食はせたときの闇尾超は、既に死を覚悟してゐたのだらう。死を覚悟したからこそ、闇尾超はNoteを書き出し、私にそれを残したのだ。さうして私は闇尾超の苦悶の思考に引き回され、かうして闇尾超のNoteを読みながら沈思黙考を迫られる。さうせずば、闇尾超が今にも化け出て私を呪ひ殺すに違ひない。Cogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit.か。森羅万象が変化して已まぬ此の世界において、絶えず己を超えやうと何ものも藻掻き苦悶するとは、闇尾超の口癖だったが、多分、闇尾超は森羅万象が沈思黙考をしてゐて、思考のどん詰まりの渦動の中に溺れかけながら、やっとのことで己の存在を保ってゐると考へてゐたのかもしれぬ。さうであれば、闇尾超の到達した境地はいづれのものも皆、Cogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit.の様態にあり、さうして時が流れるとの考へにまで至ってゐると考へられなくもない。仮にさうならば、思考とは正しく時間の別名で、時間が流れるところ全て遍く何ものも皆、思考してゐるといふ結論に闇尾超は至ったのではなからうか。森羅万象は思考する。これが闇尾超の思ひ至ったことなのだらう。然し乍ら、そもそも森羅万象が思考するとは何のことだらうか。路傍の石を取り上げてみるが、その石もまた思考してゐると看做せる覚悟が私にはあるのだらうか。確かに万物流転す。世界は一度時間が流れ出したならば、未来永劫に亙って已むことを知らぬが如くに変化して倦むことを知らず。存在はその世界に翻弄され、世界の現象に、ある時は丸呑みされながら、存在自体が変化せざるを得ぬ状況へと投企されるが、外的であらうが内発的であらうが、存在は千変万化し、或ひは最期は無へと突き進んでゐるやもしれぬ。闇尾超はそれは全て遍く思考の為せる業だと看做したに違ひない。もの皆、つまり、存在とは何ものであらうとも思考するものであると。すると、時間もまた、去来現が滅茶苦茶な筈で、時間が数直線のや
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