第百二十話 客家その六
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「危険だから」
「他にも毒蛇一杯いて」
「オーストラリアと並んでね」
「毒蛇の宝庫よね」
「そうなのよ」
台湾はというのだ。
「このこと知ってる人って日本ではね」
「少ないっていうのね」
「何かね」
台湾の娘は富美子に嫌そうな顔で話した。
「日本って台湾好きな人多いでしょ」
「ネットで特にね」
富美子も否定しなかった。
「そうよね」
「ええ、ただね」
台湾の娘は富美子にその嫌そうな顔でさらに話した。
「台湾のこと知らない人多いわね」
「ああ、何で台湾が好きか」
「あれでしょ、日本が好きな台湾が好き」
「そう、それでね」
富美子もまさにと答えた。
「実はね」
「台湾のこと好きじゃないわね」
「自分が好きなのよ」
「そうした人は」
「日本が好きな台湾が好きな」
「自分が好きなのね」
「だから台湾のことは実はね」
よく台湾を好きだと言ってもというのだ。
「何もね」
「知らないのね」
「そしてこれから知るつもりもね」
知らないのならば知ればいいということだ、知る知らないの違いというのはただそれだけのこと言えるであろうか。
「ないのよ」
「台湾のことも」
「そうよ」
まことにというのだ。
「自分だけだから」
「そうした人達ね」
「そうした人達はね」
「台湾のこのことも知らないのね」
「毒蛇もことも。それに」
富美子はさらに話した。
「あんたのこともね」
「どうでもいいのね」
「知るつもりもね」
「ないのね」
「客家のこともね」
彼女のルーツのこともというのだ。
「知らないし」
「知るつもりもないのね」
「歴史も文化も詳しいことは」
「知るつもりはないのね」
「それでね」
そうした状況でというのだ。
「台湾が日本好きだって思ってるから」
「好きなのね」
「言うけれどこうした人達は日本と台湾が揉めたら」
そうなればというのだ、外交や交流は常に友好的であるとは限らない。そうは上手くいかないものである。
「罵ってくるわよ」
「台湾のことを」
「それも口汚くね」
「それまで好きだって言ってても」
「あっという間にね」
そうした感じでというのだ。
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