第三部 1979年
姿なき陰謀
権謀術数 その4
[6/6]
[8]前話 [9]前 最初 [1]後書き [2]次話
その装備の充足率も、練度も非常に低く、航空支援が到着する前に師団ごとで全滅することもままあった。
虎の子の、攻撃ヘリや戦術機を投入しても、BETAの物量の前に焼け石に水の状態。
それ故に、ソ連は中央アジアに関して、航空部隊の配置を止め、核飽和攻撃に専念することになったのだ。
ソ連では、東ドイツ軍がとった様な浸透戦術――光線級吶喊――は、一般的ではなかった。
多数の火砲・ロケット砲を運用する軍の編成上、十分な砲弾数を備えていた為である。
かえって、西ヨーロッパの軍隊のように、戦術機の偏重運用の方がコストが高くついた為でもある。
ソ連では、G元素の確保の為に、ハイヴ攻略を目的とした軍事編成に変更されつつあった。
米国から輸入したF-4R、約5千機を中心に、稼働可能な戦術機を1万機ほど有していた。
ミグ設計局がF-4Rを改修したMIG−21バラライカを生産し、配備してもソ連が目標とする物には程遠かった。
赤軍参謀本部の方針としては、航空機部隊を全廃し、10万規模の戦術機部隊に再編する予定であった。
航空機全廃の際に問題になったのが、対地攻撃機の存在である。
ソ連は独ソ戦の経験から、近接支援航空機(штурмовик)の開発に力を入れていた。
とくに有名なのはイリューシン設計局の作ったIl-2戦闘機やIl-4爆撃機である。
戦後、イリューシン設計局は軍用爆撃機から手を引き、もっぱら輸送機の設計に専念するようになった。
民間機も多く手掛け、Il-14や、Il-62などをアエロフロートや東欧、第三世界に販売した。
[8]前話 [9]前 最初 [1]後書き [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2025 肥前のポチ