第三部 1979年
姿なき陰謀
権謀術数 その4
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グラーグ)の管理責任者が、10万人分の捕虜の食糧を水増しして申請し、その差額を横領し、懐に入れることなどは日常茶飯事であった。
そういった経緯から、米軍の大量のレンドリースがソ連国内に送られるも、その5割近くが最前線に届く前に消えるという珍事が多発した。
書類上のミスで、シベリアの倉庫で死蔵されているなどというのは良い方であった。
分解され、鉄くずとして転売されたり、ひどい場合には、ユーゴスラビアやインドなどの第三国を経由して、敵国に高額で売り払われるということもままあった。
この異世界のロボット兵器である戦術機の開発は、1967年のサクロボスコ事件にさかのぼる。
BETAの月面振興と同時に開始されたNCAF-X計画。
12年前の事件の段階で、月面、宇宙空間、そして地上での運用が前提とされていた。
国連総会の場で、米ソ両国が戦術核の使用を提案するも、英仏が拒否したのが大きかった。
そして6年の戦争は何の進展もなく、終わりを告げる。
支那最西端にある都市、カシュガルへのBETA侵攻によってであった。
タクラマカン砂漠西端に位置するこの都市は、中ソ国境沿いの重要拠点で、古代からシルクロードの経由地であった。
周囲が高原である事、また支那の鉄道網が整備されていなかったことから、軍事作戦に大きな弊害となった。
4年前の中ソ紛争も、同様に影を落としていた。
人民解放軍の軍事動員が2週間の遅れが生じたのは、タジクとキルギスのソ連駐留軍を刺激することを恐れての事であった。
同年の3月に起きたアフガンの政変も、またそのことを補強した。
トルクメン・ウズベク国境沿いにソ連赤軍を集中的に配備し、アフガンの暴発を抑えていたが故にソ連はBETAの進行を遅らせることが出来たが、それは戦術核の飽和攻撃という対処療法の為であった。
人民解放軍は、中ソ間の軍事的誤解からの核戦争への発展を恐れ、朝鮮戦争当時の人海戦術をとることにした。
標高1200メートルの高地故に、航空攻撃は芳しくなかった。
対空機関砲を搭載した武装トラック、軽機関銃を装備した騎兵部隊、迫撃砲と分解可能な榴弾砲での戦闘はそれなりの戦果を挙げた。
国連総会で、支那への国連軍派遣の提案がなされるも、中共政権はそれを拒否した。
あの忌まわしい大戦争から、20年ほどしかたっていない時期でもある。
支那の国民感情として、外国の軍隊が土足で踏み入るのは、受け入れがたかったのだ!
支那政府が、この提案を失敗と認識したのは、3週間が過ぎての頃だった。
爆撃機や音速を超えるジェット戦闘機が、一度に失われる事件が起きた。
光線級の登場で、人民解放軍は混乱を極めた。
折悪く、当時進行中だったプロ文革で、対日戦や内戦を経験し、朝鮮戦争を戦った軍事指導者たちを追放
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