第三部 1979年
姿なき陰謀
権謀術数 その4
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ソ連ではスタロスの建議で、1963年にはゼレノグラードというソ連版のシリコンバレーが完成していた。
その2年後には、政府部内に電子工学を専門とする電子工業省という部局を設けた。
しかし、コンピュータ本体の開発は成功しても、ソフトウエアや周辺機器の開発には、成功しなかった。
社会主義特有の体制の欠陥や、技術的視野の狭さに因るためである。
故に1970年代に入ってから、ソ連と東欧諸国は合法・非合法を問わず、西側のハードウェア・ソフトウェアとそのノウハウの吸収を急ぐこととなったのだ。
委員長は、すこし揶揄をもてあそびながら、温容なごやかに訊問した。
「新型の集積回路か……量産は可能か」
ソ連ではBETA戦争以後の大規模な軍事支援によって、電子工業技術が飛躍した。
IBMやテキサス・インスツルメンツの海賊版を軍事利用することが可能になった。
「月産1万台は生産可能になるでしょう」
ソ連の電子工学は、遅れてはいたものの、東側の中では随一だった。
東欧の優等生と言われた東ドイツでは、ソ連との関係悪化や電子工学技術者の亡命もあって、西ドイツのそれと比して10年は遅れている状況であった。
故に、ユルゲンの望んだように戦術機のライセンス国内生産など、夢のまた夢であった。
戦術機工場は建設はしたが、それは米国やソ連の戦術機部品を市価の2倍で輸入し、くみ上げるだけであった。
「今、GRUの方ではノースロップの関係者に接触しています。
彼等はサンダーボルトA-10との競争に敗れ、新型機開発が低調になり、困っているところです」
「技師を抱き込むのか」
「人類の戦いに対する使命感とやらをもってして、ノースロップが作ったYA-9の設計図面を得るつもりです」
YA-9とは、F‐5フリーダムファイターを基に試作した対地攻撃機である。
軽量な装甲板と推力に優れた跳躍ユニットで、機動力を上げ、一撃離脱攻撃を専門として設計された。
一応、管制ユニットは25ミリの合金で覆われていたが、A−10と比して、飛行時間も機動性も優れていた。
米国に潜入してスパイは、なお言葉を続けた。
「そうすれば、ソ連はA-10のような地上攻撃機を、いやそれ以上の物を手に入れるでしょう」
委員長の顔色は、明るかった。
「良かろう。予算は重機械・運輸機械製作省から出すものとする」
英国に亡命したGRU少佐のヴィクトル・スヴォ―ロフ(1947年〜)によれば、ソ連の省庁という物は、軍事に関係ない省庁は無かったという。
例えば、造船工業省では、その予算の全てを軍艦の建造費に費やしたという。
その為にGRUはKGBに比べて予算規模は少なかったが、政府の諮問を通さないで使える予算は大きかった。
化学兵器や細菌兵
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