第三部 1979年
孤独な戦い
匪賊狩り その5
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インド南部にあるタンジャヴル空軍基地を発進した、第222戦術機中隊。
f-5戦術機のコピーであるソ連製のSU-11を配備していた。
F-5との大きな違いは、頭部に付いたセンサーマストと呼ばれる通信アンテナである。
ハチの針に似た細長い通信用アンテナは、対BETA戦での近接密集戦闘を念頭に置いたものである。
su-11は、高度な電子戦装備を設置したMIG21バラライカよりも安価であった。
だが、マクドネル社の低価格輸出攻勢と、ミグ設計局の政治工作によって、本来ならば日の目を見ることのない機体であった。
事態が変化したのはゼオライマーの登場で、MIG-21が手も足も出なかったという事実を突きつけられた為である。
ソ連参謀本部は、質よりも量を取り、より安価で、製造しやすく訓練期間の短い学徒兵でも扱いのしやすいsu-11の増産を決定した。
マサキがハバロフスクを襲撃するころには、コムソモリスク・ナ・アムーレの工場で試作機が完成し、インド空軍に約140機が納められることとなった。
インドは、英国との関係や歴史的経緯、政治的背景などにより、初期には旧宗主国イギリスをはじめとする欧州から、トーネードADVを160機ほど購入した。
だが、ミンスクハイヴ建設による欧州戦線の緊迫化により、英国からの輸出は途絶えてしまった。
その不足を補うために、ソ連から300機のMIG-21を導入した。
近年では、ソ連機やフランス機を多く導入しており、様々な機体を擁している。
以上の様な経緯からか、インドには多数のソ連パイロットと教官が軍事顧問団として駐留した。
今回の作戦に参加したのは、そのほとんどがインド空軍の強化装備を付けたソ連軍衛士で、インド空軍のパイロットはほとんどいなかった。
インド空軍のパイロットの多くは、米国製のコンソリデーテッド・B-24 リベレーター・重爆撃機を操縦していた。
インド空軍はこの機体を45機ほど所有していて、一度1968年に退役させている。
だがBETA戦争で、光線級吶喊後における絨毯爆撃がにわかに効果を見せ始めると、モスボールを解除し、最前線に復帰させたのだ。
B-24の欠点としては、銃弾を機体に受けると安定性に難が有る、飛行高度がB-17より低いなどがあった。
第二次大戦の欧州では、米軍のパイロットの間ではB-17が好まれたが、B-24は優秀で、多用途性のある軍用機であった。
英国空軍は、この機体を気に入り、特に爆弾搭載量が多いことに関しては、彼らをして満足させるほどであった。
ジャフナ上空に現れたインド空軍のB-24D爆撃機、40機は一斉に爆弾倉を開いた。
計88トンの爆弾が、このジャフナ王国の古都に降り注ぐ。
寝こみを衝かれ、不意を襲われて、右往左往、
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