七、 夢を見るといふことはそもそも特異点の存在を暗示させるものである
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せずに語らないことには特異点を取り逃がし、
――わっはっはっはっ。
と、嘲笑されるのが落ちなのである。映像のその先にある闇をして特異点も語り果せねば、特異点を取り逃がすこと必定である。須く文字にのみ頼るべし。
闇尾超は夢を使ひ古された襤褸布と同じく、現代ではもう夢神話は破壊され尽くされ、夢を語って何かを暗示させる文学的手法は藻屑と消え、夢そのものの神通力はもうないと嘗て述べてゐたが、夢が特異点を暗示させるといふ啓示を得たといふことは、闇尾超もやはり夢に弄ばれてゐて、ずっと夢の謎を脳科学とは一線を画した中で、その位相を見つけたくてうずうずしてゐたに違ひない。それが或る日、夢と特異点といふ一見すると似ても似つかぬものに結び付き、それがある種の確信に変はっていったのだ。その時の闇尾超の胸に去来したものとは何だったのだらうか。嬉しさはあったに違ひないが、それ以上に絶望しかなかったのではないだらうか。それは何故かといふと、所詮人間に「一≒無限大《∞》」を持ち切るのは酷といふことに闇尾超は思ひを馳せたに違ひない。無限大を単独者たる一存在者が――簡単に無限大とはいふけれど――無限大といふものの実相を想像できる人間が、果せる哉、想像の網に引っかかる程の想像力を持ち合せてゐるのか、甚だ疑問であるからだ。数学的には無限大の存在は排中律により証明されてはゐるが、それは、無限大が存在しなくてはをかしいといふことを間接的に証明してゐるのみで、直截、無限大の素顔を見たものはゐないのだ。そもそも素顔は有限のもので、無限大の素顔といふ表現は全くをかしなことで、さうだからこそ尚更、無限大は人間の想像力を遙かに超えたものなのである。
仮に闇尾超が無限大の尻尾を?んだとしてもそれは限りなく夢幻の類ひに近く、それを承知をした上で、夢の存在が特異点の存在を暗示させると大胆な仮説を闇尾超は立てて見せたのだろう。その真贋はともかく、闇尾超の慧眼は或ひは正鵠を穿ってゐるやもしれず、一瞬でも闇尾超の脳裏に無限大の幻影が過ったのは間違ひない。でなければ、闇尾超は或る確信を持って夢の存在が特異点の存在を暗示させると断言できる筈はない。しかし、闇尾超は幻影を以てして特異点を語るにはそれこそ語るに落ちるとも警告してはゐるが。ならば、闇尾超の導いた「夢の存在は特異点の存在を暗示させる」を私の思考の俎上に一度乗せなければ闇尾超に失礼といふものだ。
夢は私にとって夢魔の為すがままの或る意味最も私を疎外してゐる世界だと看做してゐる。喩へていふならば、これは闇尾超に失礼なのかもしれぬが、映像的な解釈で夢を紐解くと、巨大な水族館の水槽のやうに分厚くも非常に透明なアクリル板でできた巨大水槽に、これは不思議なことではあるが、闇尾超と同様に夢には確かに私の分身者の片割れが水槽内にゐて、そやつは夢魔
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