第三部 1979年
孤独な戦い
匪賊狩り その1
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おしたmig21を用意する。
通信漏洩される前提で、無線封鎖し、大型爆撃機を引き連れて、マドラスから出撃したのだ。
戦後におけるソ連の南アジア政策は、一貫して、この地域の安定化であった。
たしかにインド共産党は、コミンテルン、コミンフォルムの一地方組織であったが、武装闘争の姿勢をよしとしなかった。
また、ネルーらインド建国の父たちも、モスクワとインド共産党を別物と考えていた。
ソ連の方針転換は、あの血塗られた支配者スターリンの死とともに始まった。
東西デタントの方針をいち早く模索していた、ニキータ・フルシチョフの考えによるところが大きい。
非共産圏のインド地域に足場を築き、自国の影響力を南アジア全体に伸ばしていくのがソ連の狙いとするところであった。
西側と融和や非共産圏と脱イデオロギーでの融和関係。
無論このことは、フルシチョフ自身の性格ばかりではなく、スターリン主義の否定の面もあった。
ここで、スターリンとフルシチョフにある、個人的なわだかまりに関して話しておこう。
先の大戦の折、フルシチョフは長男レオニードを空軍パイロットとして、出征させていた。
ある時、ドイツ軍の捕虜になったレオニードを特殊部隊を使って、救出する作戦が練られた。
パルチザンに偽装した特殊部隊によって救出されたレオニードは、秘密裁判にかけられ、銃殺刑が宣告された。
愛息を救うべくフルシチョフは、スターリンの足に泣きすがって助命嘆願をした。
だが、御大は、一顧だにしなかった。
翌日、レオニードは、NKVDによって刑場の露と消えた。
フルシチョフは、スターリンによって、家族を奪われたのはこれが初めてではない。
1937年の大粛清で、レオニードの最初の妻であるロザリア・ミハイロヴナ・トレイヴァスの大叔父で、党の幹部であったボリス・トレイヴァスを銃殺刑にされた。
その際、自分に累が及ぶことを恐れたフルシチョフは、レオニードとロザリアを離婚させた。
レオニードの二度目の妻も、スターリンによって、5年ほど収容所に送られた。
そういう経緯から、一連のスターリンの謎の死に関しても、フルシチョフ黒幕説がいまだにロシア国内でささやかれているのだ。
さて、話を、異世界の南アジアに戻したい。
場所は、スリランカ北部にある都市、ジャフナ。
ここは、タミル・イーラム解放の虎、最大の秘密拠点だった。
彼らは、捕虜たちを基地本部に集めていた。
その中には、ソ連軍のラトロワたちも含まれていた。
今まさに、特別軍事法廷が開かれようとしていた。
マサキやインド空軍の爆撃隊が接近しているのも知らずに、軍事裁判にかけ、処刑しようとたくらんでいたのだ。
「当法廷は、一つの結論に達した。
君たちは日本政府およびソ連政府の破壊工作員であると
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