四、 オイラーの等式に吾を見よ
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はこの後に出てくるだらうが、虚体の虚体乗は実体になるといふ闇尾超の思考の一端がこのオイラーの等式に吾を見よ、に隠されてゐるに違ひない。
然し乍ら、思索の端緒はいづれの場合も数学なのか。数学は確かに凡人の私などの思索よりも更に深く深く深く掘り進めてゐるとはいへ、それは結局の所、私が、あの蒼穹を宮崎駿監督のImageに乗っかって自在に飛んだのと変はりはしないのでないか。其処には誤謬に遊ぶ楽が既に隠されてゐて、思索の、つまり、闇尾超の思索の限界が既に開示されてをり、ややもすれば、闇尾超の思索の自由を奪ってはゐないのであらうか。しかし、闇尾超には時間がなかった。それだけは事実である。無から有を生み出すには余りにも時間が足らな過ぎたのだ。これは闇尾超を責めるわけには行かぬな。それは闇尾超が私に託したことなのだ。だから、この大学Noteを私に残してくれたのだ。
そんなことは意にも介さずに残酷な現実は今日も私に日常を齎す。そして、この日常が曲者なのだ。ある日突然、日常は私に牙を剥く。それは自然災害だらうが、悪疫の蔓延だらうが、素っ気なく日常には死が転がってゐるのだ。それに目を瞑ってきた現代人は、しかし、自然現象が激烈さを増し、死者を黄泉の国から此の世に顕したことで、否が応でも死を身近に感じざるを得なくなった。現代文明は死を押し隠すことに精を出してきたが、図らずも現代文明は死を黄泉の国から此の世に顕すことに帰着したのだ。何とも皮肉だな。しかし、世界は徹頭徹尾不合理なものなのである。合理の権化が仮に数学ならば、闇尾超よ、お前はいくら時間がなかったとはいへ、数学を思索の端緒にしたのは拙かったのだ。思索の端緒は不合理でなければならぬのである。人間の思考の悪癖であるが、しかし、この悪癖が様様な発見に結び付いたのでもあるが、合理的であることが何か正しいものの如く此の世を跋扈し、大手を振って闊歩するのは、私は何とも苦虫を噛み潰したやうな思ひとともに、薄気味悪さを感じてゐたが、世界が、現実が、人間に牙を剥いて襲って来始めたので、安堵してゐるのは確かなのである。身近に死が転がってゐない世界、若しくは現実なんぞ決して受け容れられぬ。
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