序
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ものを嫌悪してゐて、彼は死すまで闇尾超といふ存在を認めやうとはしなかったらしい。何故、闇尾超はそのやうな自虐の土壺に嵌まってしまったのかといふと、どうやら闇尾超は存在といふことに対しての全転覆、つまり、それはかうともいへ、あはよくば、宇宙に対して闇尾超といふ存在を賭して宇宙が闇尾超を認識した時にぎょっとする如くに宇宙に一泡吹かせることに取り憑かれてゐたとのことである。それは余りに馬鹿げたことであり、そもそもそんなことなど不可能なのであった。だが、闇尾超にとってそれは生あるうちにどうしても成し遂げるべき、または、闇尾超といふ存在の宿痾の如きものとして闇尾超には取り憑かれてしまったのだった。それは闇尾超が強烈に埴谷雄高の影響下にあり、「不可能性の作家」に心酔してしまったためだったのかもしれぬ。闇尾超は現代は不可能性を恰も可能であるかのやうに論理をでっち上げる時代であり、不可能なものをいかに可能のやうに見せられるかの化かし合ひの時代だと思ってゐたのは確かであった。
しかし、今はもう闇尾超は此の世にはゐない。疾うの昔に精神錯乱の上に病死し、夭折してしまったのであった。それも風の噂で知ったのであるが、闇尾超の死を知ってからといふもの私の頭からそのことは一時も離れることはなかった。それは何故なのだらうか。それは私の何処かに闇尾超に共鳴するところがあって、闇尾超に先を越されたといふ羨望とも嫉妬ともいへぬ何か私の心のどす黒い部分を闇尾超の死が撫でさすって呼び起こし、それがむくっと頭を擡げてその存在を私に突き付けるからなのかもしれぬ。
これまで私は物を書かうとしても、どうしても書けず仕舞ひに終はってしまってゐたのであるが、それでも新しい表現方法を見出せぬ私は、従前からある物語の既に使ひ古されぼろぼろになった表現におんぶに抱っこで、しかし、それでもいいので闇尾超の生の断片を思考実験の上で再構築したかったのであった。しかし、残念ながらそれが近代小説というものだ。さう開き直ってみたどころで、それでもそれは己が恥辱まみれで物語を書くことが恥ずかしいかったのもまた、事実なのである。そして、私は己の存在に対しても恥ずかしいからこれから書かれる思索の断片集に関して言い訳めいたことを書いて何とか己の恥辱を宥め賺してゐるのだ。さうせずば断片集なんぞ私には書けぬのだ。物を書くといふことは恥辱である。それでも闇尾超については書かれるべきなのだ。それは何故かと自身に問へば、詰まる所、存在に行き詰まった存在がどのやうにしてそれでも生を繋いでゐたのかを私自身が詳らかにしたかったからに外ならない。だが、物語は結局書けず仕舞ひで、闇尾超の思索の断片に応答する形での断片集しか書けなかった。
然し乍ら、この断片集はいふなればどうでもいい作品で、唯単に私の自己満足のためのものに過ぎぬのである。独り善がり
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