【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
【第10章】カナタとツバサ、帰郷後の一連の流れ。
【第8節】背景設定10: 古代ベルカの霊魂観と聖王教会の教義について。
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信的なカルト」は法律で明確に禁止されています。)
しかしながら、「聖王教」と「古典宗教」の違いは、突き詰めてしまえば、『聖王オリヴィエを「霊魂の導き手」として、あるいは「神の如き人」として、認めるか否か』という点だけなので、双方の一般信者たちの間には(少なくとも、日常的には)特に「対立」はありません。
だから、ミッドでは、基本的に「宗教テロ」は起きないのです。
しかも、聖王教会では古来、聖王オリヴィエの遺訓に従って一切の「布教」を禁止しています。『訊かれたら答えても良いが、訊かれてもいないのに語ってはいけない』というのが、聖王教会の「本来のあり方」なのです。
(もちろん、末端では、その「あり方」は必ずしも厳格に守られている訳ではないのですが。)
それでも、聖王教は、今では実際に多くの世界で信仰されているため、ミッドにおいても聖王教の信者でいた方が、何かと「便利」です。
そこで、ミッド人の多くは(特に、現実に「他の世界へ行く機会」の多い人々は)そうした実利的な考え方から「聖王教の信者」と自称しているのです。
(実のところ、古典宗教の信者と比較して、「物事の考え方」に何か根本的な違いがある、という訳ではありません。)
また、聖王教の教義は、基本的には「古代ベルカの宗教」をそのまま踏襲したものであり、ただそこに「聖王オリヴィエ」という特別な要素を付け加えただけの内容となっています。
聖王教会の公式教義では、『オリヴィエの身魂は、今も恒星天に留まっている』ということになっていますが、それは、言うならば、『お星様になって「ずっとずっと」すべてを見守り続けている』という状態です。
それは、まさに「霊魂の導き手」であり、神と人を仲介する「神の如き人」である、と言って良いでしょう。
聖王教会では、『決してオリヴィエだけが「唯一の導き手」という訳では無く、そうした導き手は、極端な話、世界ごとに個別に存在していても構わない。ただ、聖王オリヴィエはそうした導き手たちを代表する「長」なのだ』という考え方に基づいて、他の世界にも同様の人物がいることを許容したため、聖王教はより多くの世界に広まって行きました。
例えば、デヴォルザムでは独自に、最後の統王バムデガル九世を「神の如き人」として認定しており、聖王教会も公式にこれを認めています。
なお、古代ベルカでは、一般に『輪廻転生の周期は360年である』と考えられていました。聖王教会も、基本的にはこれを踏襲しています。
しかし、『その人物が「前世で死んでから再び地上に生まれてくるまで」が360年なのか、それとも「前世で生まれてから(生きた年数に関係なく)再び生まれてくるまで」が360年なのか
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