暁 〜小説投稿サイト〜
魔法戦史リリカルなのはSAGA(サーガ)
【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
 【第10章】カナタとツバサ、帰郷後の一連の流れ。
 【第8節】背景設定10: 古代ベルカの霊魂観と聖王教会の教義について。
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ん)の別なく、古代ベルカの人々はそうした行為を恥じて、()み嫌いました。
 特に、早死にした人の場合は、『なるべく早めに「祀り上げ」を済ませることこそが、故人の名誉を守ることにつながる』と考えられ、五年単位で「享年」の端数(はすう)を切り捨ててしまうことも珍しくはありませんでした。
 時代や地域によっても異なりますが、例えば、『十代前半で死んでしまった小児(こども)身魂(みたま)を10回忌で早々と「祀り上げ」にしてしまう』などということも、実によくあることだったようです。

【新暦32年の2月に、ミゼット提督が「新暦22年の1月に12歳で死んだ愛娘(まなむすめ)のディオーナ」を10回忌で早々と「祀り上げ」にしてしまったのも、こうした伝統に基づいた「正当な行為」でした。
 また、ティアナも新暦89年の8月には「69年の7月に21歳で死んだ兄ティーダ」を20回忌で「祀り上げ」にしており、ゲンヤたちも新暦92年の10月には「67年の10月に26歳で死んだクイント」を25回忌で「祀り上げ」にしています。】


 それでは、そうした「神の国」における「霊魂(たましひ)だけの存在」は、何故また地上世界になど転生して来るのでしょうか。
『それは、そうした霊魂(たましひ)が、まだまだ「不完全な存在」だからだ。だからこそ、自分もまた神々のような「完全な存在」になりたいと願い、そのためには「自分に足りない部分」を補う必要があるから、そのために地上世界で「新たな経験」を積みたいと願った。すべての人間は、その願いを神々に(かな)えてもらった結果として、この世に生まれて来るのだ』
 古代ベルカ人たちは、そう考えました。身体(からだ)が親から授かったものであるのと同じように、身魂(みたま)は神々から直々(じきじき)に授かったものなのです。
 誰であれ、その人の身も心も、本来的には決してその人の個人的な「所有物」ではありません。だから、勝手に「意味も無く」傷つけたりしてはいけません。「授かりもの」を大切に扱わねばならないのは、当たり前のことだからです。
 だからこそ、古代ベルカでは、自分の意識(こころ)を闇で(けが)すことも、また「神に対する罪」であるものと考えられて来たのです。

『すでに「神の世」で願いを叶えてもらった結果として、我々は今、「この世」にいるのだから、生きている間は、もう「それ以上のモノ」を神々に求めたりしてはいけない。それは、前の借金を返すことなく、さらに借金を申し込むのと同じであり、人間(ひと)として恥ずべき行為(おこない)なのだ』
 古代ベルカ人は、本気でそう考えていました。
『神に救いを求めること自体が、実は悪いことなのだ』というのは、人間にとっては相当に厳しい宗教ですが、古代ベルカ人に言わせれば、『この世は、そもそも「
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