【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
【第10章】カナタとツバサ、帰郷後の一連の流れ。
【第8節】背景設定10: 古代ベルカの霊魂観と聖王教会の教義について。
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)いほどの光」に満ち溢れた世界です。
また、その球殻の表面は「神々の大地」であって、そこを基準として見れば、地上世界から恒星天に至る「目に見える宇宙」は、すべて「暗い洞窟のような地下世界」でしかありません。
言うならば、「神々の大地」はすでに「宇宙の外側」であり、霊的に言えば、そちらの方が「本物の世界」なのです。
【地球の用語で言うと、古代ギリシャのプラトンが述べた「イデアの世界」というのが、まさにこの「本物の世界」のことです。
なお、ここから、古代ベルカでは「この世で生きてゆくこと」それ自体を、文学的には『小さな灯火を掲げて、暗き洞窟を行くが如し』などと表現するようになりました。】
また、古代ベルカでは、この「神々の大地」のことを「神前の広庭」とも呼んでいました。
「真の神々」は、そうした「本物の大地」のさらに上空に浮かぶ「雲上の神殿」に住んでおり、そこからいつもその「本物の大地」を見下ろし、見守っているからです。
そして、「真の神々」の多くは、そうした「本物の大地」の上に「離宮」を構えており、しばしば「雲上の神殿」から、その「離宮」や「広庭」にまで降りて来るのですが、人間の霊魂ごときは皆、力量の上では、文字どおりそうした神々の「足元」にすら及びません。
その力量の差は、喩えるならば「部屋を照らすロウソクの光」と「世界を照らす太陽の光」ほどもの差であり、まさに「比較すること自体がおこがましいほどの違い」なのです。
ただし、神々はあまりにも巨大すぎて、「光の門」を通り抜けることができません。
『だから、地上に生きる生身の人間が「真の神々」と直接に交流することなど、決してあり得ないのだ』
古代ベルカの人々は、そう考えていました。彼等にとって、真の神々とは「純然たる霊」であり、決して「身魂を持った存在(いわゆる、人格神)」などではあり得なかったのです。
そのため、彼等は、神の似姿を像に刻んだり、絵に描いたりすることも無ければ、神々を擬人化して(キャラクターとして)神話に登場させることすらありませんでした。
そのような行為は、彼等にとっては「真の神々への冒涜」に他ならなかったからです。
また、「信仰の体系」そのものは、ベルカの〈中央大陸〉全土で共通していましたが、具体的な神名となると、『同じ神が、地域ごとに全く別々の名前で呼ばれている』という状況だったため、古代ベルカの神々はみな、「世界共通の一般名称」としては、その神を象徴する「神器や動植物などの名前」で呼ばれていました。
例えば
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