暁 〜小説投稿サイト〜
魔法戦史リリカルなのはSAGA(サーガ)
【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
 【第10章】カナタとツバサ、帰郷後の一連の流れ。
 【第8節】背景設定10: 古代ベルカの霊魂観と聖王教会の教義について。
[4/12]

[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話
)いほどの光」に満ち(あふ)れた世界です。
 また、その球殻の表面は「神々の大地」であって、そこを基準として見れば、地上世界から恒星天に至る「目に見える宇宙」は、すべて「暗い洞窟(どうくつ)のような地下世界」でしかありません。
 言うならば、「神々の大地」はすでに「宇宙の外側」であり、霊的に言えば、そちらの方が「本物の世界」なのです。
【地球の用語で言うと、古代ギリシャのプラトンが述べた「イデアの世界」というのが、まさにこの「本物の世界」のことです。
 なお、ここから、古代ベルカでは「この世で生きてゆくこと」それ自体を、文学的には『小さな灯火(ともしび)(かか)げて、暗き洞窟(ほらあな)を行くが(ごと)し』などと表現するようになりました。】

 また、古代ベルカでは、この「神々の大地」のことを「神前(しんぜん)広庭(ひろにわ)」とも呼んでいました。
(まこと)の神々」は、そうした「本物の大地」のさらに上空に浮かぶ「雲上の神殿」に住んでおり、そこからいつもその「本物の大地」を見下ろし、見守っているからです。
 そして、「(まこと)の神々」の多くは、そうした「本物の大地」の上に「離宮」を構えており、しばしば「雲上の神殿」から、その「離宮」や「広庭」にまで降りて来るのですが、人間(ひと)霊魂(たましひ)ごときは(みな)、力量の上では、文字どおりそうした神々の「足元」にすら及びません。
 その力量の差は、(たと)えるならば「部屋を照らすロウソクの光」と「世界を照らす太陽の光」ほどもの差であり、まさに「比較すること自体がおこがましいほどの違い」なのです。

 ただし、神々はあまりにも巨大すぎて、「光の門」を通り抜けることができません。
『だから、地上に生きる生身の人間が「(まこと)の神々」と直接に交流することなど、決してあり得ないのだ』
 古代ベルカの人々は、そう考えていました。彼等にとって、(まこと)の神々とは「純然たる霊」であり、決して「身魂(みたま)を持った存在(いわゆる、人格神)」などではあり得なかったのです。
 そのため、彼等は、神の似姿(にすがた)を像に刻んだり、絵に()いたりすることも無ければ、神々を擬人化して(キャラクターとして)神話に登場させることすらありませんでした。
 そのような行為は、彼等にとっては「(まこと)の神々への冒涜(ぼうとく)」に(ほか)ならなかったからです。


 また、「信仰の体系」そのものは、ベルカの〈中央大陸〉全土で共通していましたが、具体的な神名となると、『同じ神が、地域ごとに全く別々の名前で呼ばれている』という状況だったため、古代ベルカの神々はみな、「世界共通の一般名称」としては、その神を象徴する「神器や動植物などの名前」で呼ばれていました。
 例えば
[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ