【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
【第10章】カナタとツバサ、帰郷後の一連の流れ。
【第8節】背景設定10: 古代ベルカの霊魂観と聖王教会の教義について。
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す。)
そして、現代では、『古代ベルカで、15年や30年や120年が「大きな時間の単位」として認識されていた理由も、ひとつには、こうした第五惑星の「公転周期」や「他の外惑星との会合周期」にあったのではないか』とも言われています。】
また、古代ベルカでは一般に、それらの天球を「内側から順に」番号をつけて呼んでいました。つまり、月天が「第一天」で、太陽天が「第四天」で、恒星天は「第八天」です。
『死者の霊魂は「肉の衣」を脱ぎ捨てた後、自分の身魂にこびりついている「穢れ」を削ぎ落としながら、それらの天球を一つずつ順番に昇って行き、何年か何十年かの後に、すべての「穢れ」を削ぎ落とし終えて恒星天に到達すると、また改めて地上世界を見下ろし、やがて満足すると、ついにはその「浄化された身魂」をも脱ぎ捨てて「神の世」に入るのだ。』
彼等は、そう考えていました。
【なお、通常の(人間的な意味での)「意識」は、身魂が司っているので、第八天(恒星天)は、「完全に浄化された身魂」の(つまり、「人間としての、最高の意識状態」の)象徴となります。
この『浄化された身魂をもって、恒星天から地上世界を見下ろしている』という状態が、地球で俗に言う『お星様になって見守っている』という状態です。
(ただし、古代ベルカの霊魂観においては、死んですぐに「この状態」になることはできません。必ずや、最低でも数年、最大で三十年ほどの時間を要します。)
古代ベルカでは、一般に『大半の死者は、この状態を手短に切り上げて、早々に「神の世」へと行くものだが、中には、何かしら「心残り」があって、この状態に長く留まり続ける人物もいる』と信じられていたようです。】
恒星天に到達した後、身魂をも脱ぎ捨てると、死者の霊魂はいよいよ「光の門」をくぐって、恒星天の「向こう側」へと、つまり、「漆黒の球殻」の内側から外側へと(外部から見れば、球殻の裏面から表面へと)抜けて行きます。
【ここで言う「光の門」とは、具体的には、ベルカ世界の夜空に見える20個あまりの特別に明るい恒星(いわゆる1等星)のことです。
こうした「見立て」の背景には、『漆黒の球殻(恒星天)には幾つもの小さな穴が開いており、その穴から「向こう側」にある「神の世」の光が漏れて来ている。その小さな光点が、地上世界では「夜空の恒星」として見えているのだ』という考え方があります。
それが、単なる「穴」ではなく、「開かれた門」であるならば、その光が、より明るく見えるのも当然のことでしょう。】
そうした「光の門」の向こう側は、すでに「神の世」であり、霊的な「眩(まばゆ
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