【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
【第10章】カナタとツバサ、帰郷後の一連の流れ。
【第8節】背景設定10: 古代ベルカの霊魂観と聖王教会の教義について。
[2/12]
[8]前話 [1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
世界の「太陽」は、「恒星」のうちには含まれません。)
また、肉眼で観測する限り、個々の恒星までの「距離の違い」を認識することはできないので、「天動説的な世界観」では、すべての恒星は地上世界から等距離にあるものと想定します。
古代ベルカでも、知識階級は当然に「天文学的な事実」を(つまり、個々の恒星までの距離は、まちまちであることを)知っていましたが、「天動説的な世界観」はあくまでも「象徴」であり、「説明のための便宜」に過ぎないので、そうした「物理次元における事実」になど従う必要はありません。
だから、すべての恒星を「一個の球殻の内側に張り付いている無数の光点」であるものと見做しても、一向に問題は無いのです。
「天動説的な世界観」では、この「恒星天」という「漆黒の球殻」の内側を「宇宙」と呼びます。
また、宇宙の中心には「地上世界」があります。
(これは「惑星ベルカ」と言い換えても良いでしょう。)
そして、恒星天と地上世界との間に、七層の「惑星天」があります。
【なお、「天動説の文脈」では、「日ごとに月ごとに年ごとに、星座の星々(遠方の恒星)との相対位置を『周期的に』変えてゆく天体」のことを、すべて「惑星」と呼びます。
だから、太陽や月をも含めて「惑星」です。同じ発音の単語ですが、天文学で言う「惑星」とは最初から『用語としての定義が異なっている』のです。
(決して『用語として間違っている』のではありません。)】
惑星天はすべて「透明な球殻」であり、「入れ子」のような同心球になっています。
また、「地上から肉眼で見ることのできる七つの惑星」は、それらの球殻に一つずつ張り付いた「光点」であり、「透明な球殻」と完全に一体化しています。
そして、それら七層の惑星天は、それぞれに独自の周期で回転しており、時には不規則な動きをすることもあります。
また、これは全くの偶然なのですが、ベルカ世界でも〈外97地球〉と同じく、「地上から肉眼で見ることのできる惑星の数は七個」であり、かつ、その内訳は、内側から順に「衛星が一つ、内惑星が二つ、母恒星が一つ、外惑星が三つ」でした。
(つまり、惑星ベルカは、その星系における「第三惑星」ということになります。)
【ただし、それらの外惑星は三つとも、いわゆる「巨大ガス惑星」で、公転周期はそれぞれ、およそ10年、およそ30年、およそ40年、でした。
つまり、第四惑星と第五惑星の「会合周期」はほぼ15年、第五惑星と第六惑星の「会合周期」はほぼ120年、ということになります。
(ちなみに、「会合周期」とは、地上から見て「二つの惑星が一度同じ方角に見えてから、再び同じ方角に見えるようになるまでの周期」のことで
[8]前話 [1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ