【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
【第10章】カナタとツバサ、帰郷後の一連の流れ。
【第8節】背景設定10: 古代ベルカの霊魂観と聖王教会の教義について。
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まず、古代ベルカでは「輪廻転生」が汎く信じられていました。
そして、先史時代の昔から一貫して、誰もがそれを「当たり前の事実」として信じていたため、一般的な宗教の教義も、当然に「それを正当化する内容」と成らざるを得ませんでした。
ですが、実のところ、単純な「霊肉二元論」では、輪廻転生という現象を上手く説明することができません。
「世」は「この世」と「あの世」の二つだけ。「人間を構成する要素」も「肉体」と「霊魂」の二つだけ。そうした霊肉二元論では、次のような疑問に、矛盾なく答えることができないのです。
『本当に、死後にも「生前の記憶や人格」が霊的な形でそのままに維持されるのであれば、それらは一体何故、再び生まれて来た時には失われてしまっているのか?』
そこで、古代ベルカ人は「三元論」を採用し、『実のところ、「世」は三つあり、「人間を構成する要素」もまた三つあるのだ』と考えました。
それが、「この世」と「あの世」と「神の世」であり、「身体」と「身魂」と「霊魂」です。
『生前の「具体的な記憶や人格」は、実は、「霊魂」の属性ではなく、「身魂」の属性なのだ。人間は「この世」に生まれて何十年かすると、まず「身体」が滅び、「身魂と霊魂だけの存在」となって「あの世」へと移行する。そして、また何十年かすると、今度は「身魂」も滅び、ついに「霊魂だけの存在」となって「神の世」へと移行する。
それから長い歳月を経て、その「まっさらな霊魂」が再び「この世」に生まれ変わって来る時には、神からまた「新たな身魂」を授かって生まれて来るので、前世の「具体的な記憶や人格」は継承されないのだ』
彼等は、そう考えました。
そして、そうした「霊的な宇宙論」を「学識の無い一般大衆」にも解りやすく説明するために、あえて「天動説的な世界観」を「象徴」として利用したのです。
【現代では、大半の人々が誤解しているようですが、古代の「天動説」とは、元来は『星の世界は現実に(物理的に)このようになっている』という考え方のことではなく、『星の世界をこのようなものであると考えた方が、「象徴」として(あくまでも「もののたとえ」として)霊的な領域のことをより解りやすく説明することができる』という考え方のことだったのです。】
その「天動説的な世界観」では、まず「目に見える宇宙」の果てには「恒星天」という「球殻」が存在している、と考えます。
ここで言う「恒星」とは、一定の星座を組んで、お互いにその「相対位置」を変えることなく、全体で一塊になって夜空を運行する星々のことです。
(つまり、その
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