暁 〜小説投稿サイト〜
魔法戦史リリカルなのはSAGA(サーガ)
【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
 【第9章】バルギオラ事変の年のあれこれ。
 【第2節】カナタとツバサとフユカとハルナ。
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詞に「人称変化」があるので、『主語が単数か、複数か。そして、一人称か、二人称か、三人称か』ということは、動詞の語尾を見ればすぐに解ります。だから、古代のミッド語では、人称代名詞の主語は省略されるのが「普通」でした。
(省略されていない場合は、その主語が特別に強調されているものと見做されます。)

 そのため、後に、ベルカ語の影響で『やはり、主語は明示されていた方が良い』という考え方が出て来た時にも、大半のミッド人は『それでも、ただの人称代名詞では「情報として」動詞の人称語尾とカブってしまう。ただそれだけの情報ならば、別に必要ないだろう』と考えました。
 ここで、普通の世界ならば、『それでは、動詞の人称変化など無くしてしまおう』という方向へ話が進むものなのですが、ミッドでは、それとは全く反対の方向に話が進みました。
 つまり、当時のミッド人は、『本来は普通名詞である幾つかの単語を「人称詞」と規定し、そこに「単なる人称代名詞」以上の情報を盛り込む』という考え方を全く独自に編み出したのです。
 具体的に言うと、ベルカ世界から正式に独立する頃、旧暦開始前後のミッド人たちは『話し手の性別や年齢や身分、さらには話し手と聞き手との関係性(親密さや上下関係など)によって、さまざまな人称詞を器用に使い分ける』ようになって行きました。
 それは、初等教育の義務化で識字率が飛躍的に向上し、印刷技術の普及で庶民も普通に小説などを読めるようになりつつあった時代のこと。『今まさに「新たなミッド語」が形成されつつあった』という時代の出来事です。

 しかし、幸いにも、「人称詞」や「終助詞」は、日本語にもおおよそ同じようなモノが存在しており、全くの偶然ではありますが、それらの用法も日本語のそれとよく似たものでした。
 そのため、カナタとツバサも(他の世界から来た人たちに比べれば)ミッド語の習得にそれほどの困難は感じなかったようです。

 また、あまり小さなうちから(母語の語彙力が不十分なうちから)他の言語を教えてしまうと、小児(こども)はしばしば「両方ともきちんと話せる人」(いわゆる、バイリンガル)にはならず、「両方ともカタコトしか話せない人」になってしまうものなのですが、カナタとツバサは幸いにも、そうした状況には(おちい)らずに済みました。
 二人が、日本で「とても6歳児とは思えないほどの語彙力」をすでに獲得していたためでしょうか。
 あるいは、なのはとフェイトが全く日常的に『念話では日本語で語りかけながら、同時に、肉声ではそれをミッド語に翻訳して語りかける』という高度な作業を、根気よく続けてくれたおかげでしょうか。
 はたまた、満2歳まではミッドで暮らしていたので、本人たちも自覚することのできない無意識領域に、あらかじめ「ミッド語の感覚」が()みつい
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