第三部 1979年
曙計画の結末
部隊配属 その1
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女子生徒で構成された陸軍士官学校の班、婦人兵教育隊の時と違い、一般兵と働くのは初めてだった。
兄・ユルゲンという存在がいたから、男女の体力差が存在しているのは知っていた。
だが、部隊配属されて、自分の目の前に見えないガラスの壁が厳然と存在することは、いくら聡明な彼女とは言え、受け入れがたかった。
どんなに鍛えても、追いつけず、50を過ぎた老兵や古参将校にすら負けた。
彼女はシンクロナイズドの県大会の優勝選手だったが、その水泳すら小柄な兵士に劣った。
勿論、水泳の技量は並の男より勝ったが、その持久力や距離の差は埋めがたかったのだ。
時には、己が女に生まれたことさえ、恨めしく思うときもあった。
幸いにして月経の症状は軽く、頭痛や熱などは出なかったが、いざ戦争に巻き込まれたらと考えるとぞっとしたものである。
彼女は、士官学校での、約一週間の野外訓練を思い返す。
泥と硝煙にまみれ、満足な食事と睡眠すらできない不潔な環境。
風呂に入るどころか、シャワーを浴びる事さえ、夢のまた夢という状況。
つくづく、女の体は戦いに向かないと思い知らされた。
アイリスディーナを苦しめたのは、軍隊における制約の多さであった。
第一線の戦闘部隊に配属されたとは言っても、女性である、婦人兵である。
彼女は訓練以外にも、行事のたびに接待の要員として、呼び出された。
軍特有の茶の出し方から、行儀作法、躾などが、最先任の婦人古参兵から厳しく指導された。
だが、覚えたころには原隊復帰をするので、簡単に身にはつかなかったのだ。
土日の休みも、制限されたものであったのはつらいものであった。
休みに関しては、一般兵と違い、将校という立場上、気兼ねなく休めた。
演習や指導があった場合は代休を貰えたし、東ドイツ軍特有の制度で婦人兵は一般将兵に比べて8週間多く有給が取得できる制度があった。
ベルリンにいた時は地元だったので、日曜日の門限にあたる午後12時前までには簡単に帰れた。
だが、人口10万の小都市コトブスという東ドイツの東端にあっては、外出するのも困難だった。
土地勘のない彼女にとって、基地の門限午後6時までに戻るということは、ハードルの高い事だった。
結局、部隊に慣れるまで30分ほどで帰れる範囲しか外出しなかった。
(注:基地の門限は、宿営地の環境や隊員の状況によって変化する。米軍や自衛隊でも同じである)
アイリスの軍隊での生活は、マサキの耳には一切入ってこなかった。
それは、それぞれが住む国が東西の陣営に分かれているという政治的な状況ばかりではなく、欧州と日本という地理的な条件もあるためである。
だが、アメリカに留学中のユルゲンの耳には、アイリスの話は逐一入っていた。
それはユルゲンが現役の将校で、軍隊内の
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