第三部 1979年
曙計画の結末
篁家訪問 その1
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女に溺れた。
新しいホープの包み紙を開けながら、可憐なアイリスディーナの姿を思い浮かべるうちに、あの娘を救ってやろうという気持ちが何も自分だけではないという考えに至った。
ユルゲンだって、宇宙飛行士の夢を諦めて戦術機パイロットになるぐらいだから、自分以上に彼女を救ってやりたかったのかもしれない。
自分の身に置き換えて、そう違いないという確信に至った。
いつしかマサキは、己の中に熱い情熱を感じ始めていた。
それは、今までの世界征服の野心とは、全く違った感情だった。
いずれにしろ、沸き上がった不思議な感情を落ち着かせるには、タバコを吸うしかない。
マサキは、何かにせかされるように、紫煙を燻らせた。
もし、自分がこの世界の戦争に介入せねば、前途洋洋な若者を大勢失われた。
その想像は、共青団動員や学徒出陣をしたソ連の事例を見れば難くない。
既に過ぎ去った、四十有余年前の戦争の時もそうだったではないか。
マサキの意識は、あの民族の興亡をかけた大東亜戦争への追憶に旅立っていた。
ソ連やナチスドイツと違い、自由で立憲君主制を引く日本では、戦時動員体制に入るのに長い時間を有した。
志那事変から大東亜戦争までは、学徒兵などは使わずに選抜徴兵と志願兵、予備役で乗り切っていた。
だが、それでも慢性的な下級将校の不足からは逃れられなかった。
大勢の青年将校を最前線で失った日露戦争の教訓から、様々な制度を整えていた。
だが志那事変が始まって、数年もすると日露戦争以上の人不足に陥った。
航空要員も同じであった。
既にそのことを見越して、帝国陸海軍は少年飛行兵の訓練を実施していたが、終ぞ米ソの大動員には勝てなかった。
今もそのことが教訓となって、自衛隊に生徒教育隊とか少年工科学校と呼ばれるものがある。
だが、古代より少年兵を使うのは国家の危厄時のみである。
毛沢東やカンボジアのポルポトのように少年兵を通常時から重用することになれば、およそ人倫や社会は崩壊するのは目に見えている。
既に夜は明けて、外は白み始めている。
ずっと、このような過去の追憶をしていても仕方があるまい。
マサキはそう考えると、再び布団の中に潜り込んで寝ることにした。
どうせ時間になれば、脇にいる美久が勝手に起きて、自分の目を覚ましてくれるだろう。
いくら秋津マサトの若い肉体とは言っても、休まねば己の脳は完全には働かない。
その様にあきらめると、しばしの休息を取った。
京都盆地の寒さは、想像以上だった。
城内省からあてがわれた住宅が、古い数寄屋づくりの住宅というのもあろう。
前世で温暖な静岡に住んでいた為か、非常に寒さが身に染みたのだ。
静岡では氷点下
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