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冥王来訪
第二部 1978年
迫る危機
慮外 その2
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重視していたのだ。
故に、マサキとチェコスロバキアの技師たちの意見は平行線をたどってしまったのだ。

「木原博士、貴方の言う新型推進機は、わが社で研究させていただきます。
一応、特許申請を出しておきますので、ここにサインを頂ければ……」
「国際特許だろうな。
機密扱いにして国内特許にすると、輸出先で分解されてコピーされるからな……」
 チェコスロバキアの新型拳銃CZ75は、設計者フランティシェク・コウツキー博士の意志とは別に国内特許とされた。
チェコスロバキア軍での採用のために重大機密とするためであったが、このためにイタリアやスペインで複製品が出回る結果になってしまった。
そしてイタリアのフラテリ・タンフォリオから、改良版のTA90を勝手に発売されてしまう事態となった。
マサキはそのことを知っていたので、チェコ側にくぎを刺したのだ。

 サインをしながら、マサキは西側の特許取得に関して不安を感じた。
チェコで特許を取ったものが、西ヨーロッパや北米で有益とは思えない。
 一応、EC加盟国である西ドイツで特許申請をして置くか。
西ドイツ軍人であるキルケに連絡を取れば、祖父のシュタインホフ将軍の手引きもあって申請も早いはず。
そう考えながら、英文とロシア語で書かれた契約書をアエロ・ヴォドホディ社の担当者に渡した。


 チェコスロバキアから帰った、マサキの行動は早かった。
その日のうちにキルケに電話を入れると、なんと彼女の方でも役場に行くのを待っていたという。
 翌日、マサキは以前言われた通り、戸籍謄本とパスポートのコピー、住民票をもって行った。
戸籍役場に行った後、ボンの特許庁まで案内してくれることとなったのだ。
 特許の国際申請は、二種類あった。
一つは各国への直接出願で、特許出願をする国の形式に合わせた書類で、対象国の特許管理機関に出願する方式である。
 この時代のチェコスロバキアは、国際特許を保護するパリ条約に加盟していなかった。
正式な加盟が行われたのは、チョコスロバキア解体後の1993年1月1日であった。
 パリ条約とは、正式名称を工業所有権の保護に関する1883年3月20日のパリ条約といい、工業製品特許の保護に関する国際条約である。
我が国日本は、1899年7月15日にパリ条約に、1978年10月1日に特許協力条約(PCT)へ加盟している。 
 マサキは、特許協力条約を知ってはいたがドイツの加盟状況に関しては知らなかった。
だから直接、ドイツ特許庁(今日のドイツ特許商標庁)に提出しに行くことにしたのだ。
 煩雑な手続きは、シュタインホフ将軍が準備してくれた代理人が手伝ってくれた。
事前に、書類を準備していたこともあろう。
順調なまでに、思うように事が運んで、あとは実態審査を待つばかりで
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