第二部 1978年
迫る危機
危険の予兆 その3
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、告げるばかりだった。
確かに、東ドイツでは教会の活動は限定的に認められていた。
そして、少なからぬ牧師や神父の中から、SEDやシュタージに協力する者たちもいた。
彼らは、俗に言うIM、非公式協力者というシュタージの非常勤公務員になった者も多かった。
故にマサキの警戒心は解けなかった。
ここで簡単にドイツの宗教を振り返ってみたい。
ドイツは17世紀に宗教改革でプロテスタントが誕生した国家と言う事もあって、プロテスタントの影響が強かった。
だが、南部のバイエルン地方に行けば、中世以来のカトリックの影響も残っていた。
それゆえに、結婚式というのは教会ではなく、戸籍役場で上げるのが一般的だった。
物語の時間軸である1970年代ではなく、40年後の2010年代のドイツ連邦統計庁の調査によれば。
カトリック29.9パーセント、プロテスタント28.9パーセント。回教2.8パーセントである。
教会税10パーセントの影響もあろう。
今は無宗教も増えているという。
我々日本人になじみの薄い人前式に関して、述べよう。
人前式とは文字通り、神仏の代わりに、人を立てて婚姻の宣誓を行う儀式である。
西欧では、近代、フランス革命後になってから一般化した婚姻方法である。
東ドイツでは教会は認められていた。
だが、東ドイツ当局は、教会を黙認する代わりに、熱心な信者の社会的活動を制限した。
国家人民軍の将校や党幹部に進むには、日曜礼拝や懺悔に行くことすら、よくは思われなかった。
議長の声が、室内に響く。
「フフフ……。
気持ちはわかるが、結婚しないとこの国から出す事は出来ない。
二人で、手を取り合って、自由にこの国から出たいとは思わないかね」
確かに、この男の言う通りだった。
東ドイツ国民への自由な出国は、認められていなかった。
事の始まりは、1961年の壁建設で、BETA戦争になっても変わらない事であった。
アイリスを、合法的に出国させるには、結婚しかなかったのだ。
無論、非公式に連れ去る方法は、いくらでも出来るし、ゼオライマーの恫喝でどうにかなる。
だが、マサキにそんな考えがなかったというのが、事実だった。
それに連れ去ったとしても、日本政府と東ドイツの関係はこじれることになる。
今までの努力が水泡に帰すという結果を、受け入れがたいものであった。
「木原さんを自由にしてください。何でもしますから」
「待て、アイリス。余計なことを言うな!」
「だから、結婚しなさいと言ってるじゃないか」
「もっとも、この結婚は私が書類にハンコを押すまで、法律的に無効だがね……
私たちの前で誓ってほしいのだよ」
「そしてこの指輪をはめてほしいのだ」
「で
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