第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
シュタージの資金源 その2
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夜、カール・リープクネヒトが「社会主義共和国」を宣言した場所である。
帝国議会で、社会民主党がドイツ帝政の崩壊を告げた、2時間後の出来事であった。
1960年代の東ドイツを代表する社会主義モダニズムの建築物は、ローランド・コルンとハンス・エーリッヒ・ボガツキーを中心とする建築家集団によって建造された。
一階には、国家評議会議長執務室と、その代理人の執務室があった。
また、東ドイツ国旗が掲げられた議場と外交官迎賓室、クラブホールも設置されていた。
迎賓室には35メートルもあるマイセン磁器の絵画が飾ってあったが、それでもソ連の建築物よりは内装は地味であった。
ここで使われる食器やグラスは、ロココ様式で東ドイツ製ではあった。
そのすべてに、海外輸出のされているライヘンバッハ磁器工場の刻印がなされていた。
ライヘンバッハ磁器工場の製品は、品質は折り紙付きで、東ドイツのマイセン陶磁器として海外に売りさばいた商品である。
東独が崩壊した今日も、この磁器工場は生き残り、東独時代そのままで、唯一営業している。
だが、ライヘンバッハ磁器工場の刻印があるだけで、実際は別な工場で焼いた量産品に、上等な釉をかけた見せかけの品物であった。
社会主義特有の『ポチョムキン村』の偽装は、その崩壊まで秘密とされていた。
アイリスが国家評議会ビルに着いたとき、玄関先には見慣れぬ車が数台止まっていた。
それは、アメリカ製のセダンで、ゼネラルモーターズのキャデラック・セビルの新型車であった。
1970年代前半に巻き起こったオイルショックの影響を受け、全長が5メートル強とサイズこそ小さくなったものの、エンジン性能や内装は以前の車にも劣らなかった。
BETA戦争での資材不足への懸念から、内装をより粗末にしたソ連製のチャイカとの違いに、アイリスはひとしきり驚いていた。
議長は、海外からの客の応対をしている最中だった。
相手国の国旗も掲げておらず、儀仗兵の役目をするシュタージのフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊もいなかったから、私的訪問なのは判別がついた。
迎賓室の隣で待つうちに、話声が聞こえてきた。
どうやら話している言葉は英語で、内容は石油に関しての事らしい。
周囲に誰もいないことを確認すると、壁に耳を近づけて、話を盗み聞くことにした。
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