第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
シュタージの資金源 その5
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ると、技術流出を怖れた。
そこで、米軍は、暮夜密かに、126名の技術者とその家族を拉致し、高性能機材をトラックに乗せ、運び去った。
その後入ってきたソ連軍によって、250名の技術者が5年もの間、モスクワに連れ去らわれた。
機材の9割は、ソ連に運び出すも、ソ連人に扱えるものではなく、やむなくドイツに戻される。
後に会社の存続は認められるも、そこで、戦後賠償という形で、ソ連に製品を上納した。
再建された同社では、戦前のライカカメラや一眼レフカメラ、双眼鏡の製造にあたった。
技術がそのまま、ウクライナに持ち出されて、『キエフ・コンタックス』というソ連製のカメラになったのである。
そうして分かれたカールツァイスは、1953年ごろまでは技術者同士の交流はあった。
しかし、西側の情報が入ることを怖れたSEDやソ連当局によって、十数名の技術者が逮捕される事件が起きる。
それ以降、西ドイツに落ちのびたカールツアイスの技術者たちが、先々を憂いて、カールツアイスの社号を特許申請してしまう事件が起きた。
事態は、両国の間だけで済む問題ではなくなった。
かつて、ルフトハンザ航空の社号をめぐって争った時のように、国際裁判に持ち込まれた。
1971年にロンドンの最高裁で、西ドイツが西側で販売する場合と東ドイツが東側で販売する場合に限り、両社とも『カールツアイス』の社号を名乗ることが認められた。
(例外として、日本と英国のみが、両国ともにツアイスの社号を名乗ることが許された)
こうして東西に分かれたカールツアイス社は、愛憎相半ばする感情をいだいたまま、今日に至ったのである。
さて、マサキたちは、カール・ツァイス・イエナの簡単な見学をした。
数点の双眼鏡と一眼レフカメラの購入契約を結んだ後、総裁室に向う。
シュトラハヴィッツの案内で、最上階にある総裁室の扉を開けた。
「今日は貴様に紹介したい相手を連れてきた」
奥に座っていた総裁は、東洋人の姿を見ておどろいた。
「紹介……」
ありのままをシュトラハヴィッツに伝えるも、
「あんた、たしかソ連議長殺しの……」
シュトラハヴィッツも笑っていたが、やがてマサキが、
「そうだ。俺は木原マサキだ」
と、名を明かした。
総裁は、、天のゼオライマーパイロット、木原マサキが来たと知って、大動揺を起していた。
(『反社会主義を掲げる日本の科学者と、社会主義国の軍隊の将軍が何故……』)
と、信じられない顔つきだったが、
「この大先生は、俺たちと同じく冒険主義者なのだよ。
これ以上の説明は居るか」
シュトラハヴィッツ少将は、総裁の意中をいぶかった。
「いや、それで十分だ。
ところで、天下のゼオライマーパイロットの大先生が、何を聞きたいんだ」
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