第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
シュタージの資金源 その5
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翌日。
マサキたちは、ベルリンから260キロほど南にあるゲラ県イエナ郡に来ていた。
(今日のドイツ連邦テューリンゲン自由州イエナ郡イエナ市)
移動方法は、シュトラハヴィッツ少将に手配してもらった陸軍のヘリだった。
無論、東ドイツにも戦前の高速道路網が整備はされている。
だが、予算不足のためにハンブルグ・ベルリン間の主要幹線道以外は、放置されたままだった。
正確にいえば、ひび割れにアスファルトを流し込むぐらいの整備はなされているに留まっていた。
また制限速度が設定されていて、時速100キロメートルを超えてはいけない決まりになっていた。
一説には東ドイツの国民自動車トラバントの性能に配慮しての為だという。
トラバントのエンジンは、戦前に設計された600ccの2サイクル2気筒であり、速度を出せなかったのも大きい。
これは、東ドイツの公用車であるソ連製のジル、ボルガに大いに劣った。
またベルリン・イエナ間の往復で、最低でも5時間がかかることも考慮されて、ヘリにしたのだ。
ヘリコプターは、最新鋭のMI-24ハインドヘリコプターであった。
これは、シュタージ少将であったシュミットが独自に購入したものを、国家人民軍で押収したもの。
実は国家人民軍でも購入を計画していたが、ソ連との紛争で沙汰止みになってしまった。
その為、止む無く押収品を使ったのだ。
MI-24の大本となったMI-8は、すでに国家人民軍と人民警察で使われていた。
資料によれば、同機種のヘリを、軍では115機ほど所有していたとされる。
ヘリパイロットも、シュトラハヴィッツの息のかかった人物であった。
彼の部下であり、衛士でもあるカシミール・ヘンペル中尉。
衛士に転属する前は、創設されたばかりの戦闘ヘリコプター連隊のパイロットでもあった。
訪問先は、市中の人民公社カール・ツァイス・イエナ(VEB Carl Zeiss Jena)本社であった。
戦前から培った高い高額技術は、東側のみならず、西側でも評価された。
ツアイス・イエナのレンズは、東ドイツが誇る主要輸出品の一つで、しかも安価だった。
同社は、また最新の電子部品、精密機器も扱っていた企業の一つであった。
西ドイツの企業、カールツアイスが、なぜ東ドイツにと思われる読者もいよう。
ここで簡単に、カールツアイスの戦後の歴史を説明したい。
19世紀末に設立された、世界的レンズメーカーカールツアイス。
同社は、創業以来、テューリンゲンにある長閑な田舎町、イエナに本社を置いていた。
1945年の敗戦直後、イエナ市に入った米軍は優れたレンズ・光学技術を確保するべく奔走する。
しかし、6月以降、テューリンゲンがソ連に引き渡すことが決定され
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