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イベリス
第百五話 何の為に学ぶかその五

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「清濁は併せ飲むな」
「そんな人じゃないとなのね」
「宗教は難しいからな」
「清や善だけだとなの」
「無理だな、人間はどうしてもいいものと悪いものがあるんだ」
 その両方がというのだ。
「それでな」
「清濁併せ持っていて」
「善悪も備えていてな」
「そうした生きものだから」
「もうな」 
 それこそというのだ。
「人の美醜もだな」
「もう全部受け入れて」
「そうでないとやっていけないからな」
「ヤクザ屋さんともなのね」
「信者さんにいたりしてな」
「お布施も受けるのね」
「ああ、それもまた現実なんだ」
 宗教の世界のというのだ。
「昔は賭場もあったしお祭りじゃお寺や神社の前で出店出来るな」
「テキ屋さんね」
「こちらもヤクザ屋さんだったからな」 
 賭場と共にというのだ。
「ヤクザ屋さんとはな」
「縁が深いのね」
「そうだ、いいか悪いか別にしてな」
「それが現実ね」
「そうだ」  
 まさにというのだ。
「だからもうな」
「お寺や神社のヤクザ屋さんとの縁は」
「わかっておこうな」
「わかったわ、色々とね」 
 咲もそれはと頷いた。
「世の中はそんな一面もあるのね」
「ああ、しかしそうした人でもな」
「救えない人いるのね」
「何もなくてな、そして悪いものだけな」
 いいものを備えてこなくてというのだ。
「備えていってるとな」
「図々しくて尊大で恩知らずで」
「全部な、いや違うか」
「違う?」
「ああ、子供はわかっていないな」
 咲にどう違うかも話した。
「遠慮とか謙虚とか感謝とは」
「それは生きていって教わるわね」
「お父さんもお母さんも咲に教えただろ」 
 飲みながら真面目な顔で話した。
「そうだったな」
「ええ、子供の頃にね」
 咲もそれはと答えた。
「遠慮して謙虚であってね」
「いいことをしてもらったら感謝してな」
「小さなことは気にしないって」
「人に優しくな、不満もな」
「出来るだけ言わないって」
「そういうのを教わるんだ」
 人間はというのだ。
「親に教えれてそれに世の中でな」
「そうしていくものね」
「ああ、今話している人は親も悪かったからな」
「お母さんにあたる人が甘やかして」
「しかもこの人自体が酷かったらしいんだ」
「そうだったの」
「この人も図々しくて不平不満ばかりで感謝を知らなくてな」
 それでというのだ。
「しかも我が強くて底意地が悪くて執念深くて自分以外の生きものは大嫌いでな」
「遊んでばかりで」
「育児放棄してな、もうそんな人でな」
「そんな人が親だと」
「ああ、まともな教育なんてな」
 そんなものはというのだ。
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