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冥王来訪
第三部 1979年
曙計画の結末
部隊配属 その2
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みが早い。うわさどおりの才媛(さいえん)だな」
本革製の長靴の音だけが、静かな室内に響き渡る。
「軍人とは、いかなる時にも命令に忠実であらねばならない。
たとえ見知った相手が乗った戦闘機であっても、撃墜せねばならぬときがあるのだよ」
ハンニバル大尉の低く鋭い声に、アイリスディーナは気圧された。
「同志少尉。人を見て、射撃ができない。迷いがあるではダメなのだよ。
守るべき人を守ることが出来なくなってしまう。
まあ、士官学校上位卒業生の君ならば戦闘職種にこだわる必要もなかろう。
軍隊の中で別の道を探すのも悪くない。
その辺のことを考慮してくれると、私はうれしい」

 さて、翌日。
アイリスディーナは、急遽ベルリンに呼び出されて、共和国宮殿に来ていた。
そこにある多目的ホールで開催されていた米独親善産業展示会に参加していたのだ。
 この行事は、1959年の夏にモスクワのソコルニキ公園で行われた米国産業展示会の(ひそみ)(なら)うものであった。
 後に台所論争として名高いこの展示会では、副大統領のリチャード・ニクソンが、フルシチョフ首相にペプシコーラをふるまったことが夙に有名であろう。
 朝鮮戦争やスエズ動乱以来緊張状態が続いた米ソの雪解けを図るべく、両国で展示会を企画したのが事の発端である。
1959年1月にニューヨークでソ連側が最新鋭のミサイル兵器を展示したのに対して、米国側は最新の電化製品や耐久消費財、食料品などを展示した。
米国の消費文化の粋を集めた展示物に、フルシチョフは衝撃を受け、憤慨するほどであった。
それに対してニクソンは、理路整然とした語り口で、自由経済と国民生活の充実を明らかにしたという故事である。
 ニクソンは若かりし頃、ペプシの弁護士をした経験があり、フルシチョフにペプシコーラの味を覚えさせれば、勝ちと考えている節があった。
 そして、企みは、1972年にソ連国内にペプシコーラの生産工場の建設という形で成功した。
こうしてペプシは、ソ連圏における営業を許された数少ない米国企業となったのだ。
(今日においても、ロシア・旧ソ連圏ではコーラといえば、ペプシコーラである)

 米国から来た産業展示会のメンバーは様々だった。
チェース・マンハッタン銀行を始めとして、モービル石油。
モービル石油は、スタンダード石油を起源に持ち、チェース銀行と共に石油財閥の影響下にある企業だった。
 参考までに言えば、チェース・マンハッタン銀行は冷戦下のモスクワで営業を許された数少ない米国の金融機関であった。
(ソ連当局からの営業許可は、1973年3月)
大手食品メーカー・ペプシコ、コンピューター関連企業IBM。
航空機メーカーに関しては、ロックウィードに、ゼネラルダイノミクス、ボーニングと多種多様であっ
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