第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
少女の戸惑い
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1973年から続いた対BETA戦争。
前年のソ連の穀物輸入を発端として起きた資源、原材料価格の高騰は全世界へ影響した。
特に顕著だったのは、石油、天然ガスなどのエネルギー資源に関してである。
より情勢を悪化させたのは、1974年のマシュハドハイヴ建設である。
石油資源の主要な輸出国である帝政イランの情勢不安は、石油販売価格を70パーセント上げる原因になった。
日本のように、中近東より工業原材料を輸入する国にとっては死活問題であった。
「石油供給が途絶えれば、日本は物不足になる」との不安は、大きかった。
28年前の戦争末期、海上封鎖を受けて、物不足に苦しんだ人々の記憶が鮮明だったのもあろう。
市中の主婦は、トイレットペーパーや洗剤の買いだめに走るという事態になった。
また一部の悪辣な商店などでは売り惜しみも流行った。
このBETA戦争での石油危機は、何も日本ばかりではなかった。
石油輸出国機構(OPEC)が原油供給制限と輸出価格の大幅な引き上げを実施。
これにより、国際原油価格は、わずか3カ月で約4倍に高騰し、世界経済は大きく混乱した。
1960年代から1970年代初頭まで、先進国を中心に石炭から石油へとエネルギーの転換が起きていた時期のこの騒動は深刻だった。
原油価格上昇は、ガソリンなどの石油関連製品の値上げに直結し、物価は瞬く間に上昇した。
急激なインフレーションは、それまで旺盛だった経済活動に歯止めをかけ、日本の戦後復興はここに終わる原因となった。
1974年10月15日、突如としてソ連国際貿易省は、原油販売価格を3倍に変更すると発表する。
マシュハドハイヴ発見直後の、この通告は、一瞬にして全世界を駆け巡る。
影響が深刻だったのは、陸上パイプライン経由で、ソ連の石油資源を輸入していた欧州、とりわけ東欧であった。
第一報が西ドイツの国営テレビで伝わると、自然発生的であるが、ベルリン市民の一部が買い占めに走った。
東ドイツでは、表向き、西ドイツのテレビ放送は禁止されていた。
だが、西ベルリンに立った強力な電波塔のおかげで、ほぼ全域で西ドイツ国営テレビの放送が見れたのだ。
また、市民のみならず、幹部たちもシュタージ職員たちも東ドイツの報道を信じていなかったことも大きい。
当局の規制よりも早く、物不足が深刻化するという噂は、口コミで広まり、各地に飛び火する。
国営商店のハーオーやコンズームの店頭では、長い行列が発生し、警察が交通整理する事態に発展した。
東ドイツ首脳の頭を悩ませていたのは、建国以来の物不足であった。
社会主義経済による計画経済の下では、需要と供給のバランスは常に不安定で、物不足は解決しえなかった。
ゆえに石油危機のような不測
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