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冥王来訪
第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
ライン川の夕べ その2
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時代にあって、我らは、本当の自立を得たのかね」 
男の前に歩み出たシュタインホフ将軍は、しいて語気に気をつけながら、
「国際外交という場は、敗者には残酷な世界ですから……」
「我らもこのままいけば、三度(みたび)敗者になるのだよ、シュタインホフ君」
 男の言葉は、敗戦の恥辱を知る者には苦しかった。
シュタインホフとしても、すでにヴァルハラで待つ戦友を想うことも、それを心の底に(かく)していることも、はらわたの千切れる様な思いだった。
「ソ連が弱体化した今、いずれは欧州の地から米軍も去ろう。
そして、いやおうなしに自立化が求められる。
その為には、核抑止力に匹敵する戦力が必要なのだよ」
男の言を聞いたシュタインホフは、愁然(しゅうぜん)としたきりであった。
「しかし連邦軍(ブンデスヴェア)は前方展開において米軍に攻勢打撃力を依存してきた軍事編成……。
また国民感情として現段階での核保有も、核搭載の原子力潜水艦も厳しかろう。
BETAに対しても核攻撃は最初のうちだけで、奴らも光線級という対策をしてきた。
ソ連の様に特別攻撃隊をもって核爆弾を送り届けるにしても、敵の数が多すぎる……」



「対外戦争の禁止という原則を掲げるボン基本法26条に準拠した、連邦軍の専守防衛姿勢。
そして米ソ英仏4か国、いやあらゆる核戦力の製造と持ち込み、配備を禁止した非核三原則……
この政策を変えぬ限り、わがドイツ民族は米ソから、敗戦のくびきから自立できまい」

 ボン基本法とは、1949年5月8日に制定された西ドイツの暫定憲法の事である。
憲法制定の日、5月8日とは、ドイツ第三帝国が城下の盟を受け入れた日でもあった。
 我々の世界の日本国憲法が制定されたのは1947年11月3日である。
11月3日は、明治大帝の誕生日、つまり天長節の日であった。
憲法典一つ見ても、日独の扱いはこれほどまでに違っていたのだ。

男は、このとき火のごとき言を吐いた。
「このままいけば、民主主義が残って国が亡びるという状況が眼前に広がろう……」
シュタインホフはじめ、人々もそれに打たれて二言となかった。





 さて、マサキといえば。
彼は報道ブースにある電話ボックスの中にいた。
そこから東ベルリンに国際電話をかけている最中で、ゆっくりとダイヤルを回す。
受話器を右耳に当て、ダイヤルが戻る音を聞きながら、緊張する自身に驚いていた。
 前の世界を含めれば。国際電話など数え切れぬ回数をしてきたつもりだ。
それにゼオライマーから前線基地、他国の戦術機、敵機への呼びかけもなれたものである。
 この世界は戦術機というロボットのおかげで軍事通信技術は超速の発展を遂げていた。
だが民間の電気通信技術は、まるで魔法にかかったかのように
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