第六百九十七話 弱肉強食とその六
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「今でも使ってるでしょ」
「ちょっと怖い感じでね」
「どれも薩摩の方言だったのよ」
「そうなの」
「ちょっといいかって感じでね」
そのニュアンスでというのだ。
「おいこらって言ってて」
「それがなの」
「東京で使っていたら」
この言葉をというのだ。
「定着してね」
「日本語全体に定着したの」
「何とかでありますって言葉もあるけれど」
七海はこの表現の話もした。
「これは長州の言葉らしいわ」
「そうだったの」
「長州の人達も多かったでしょ」
「新政府に」
「伊藤さんとか山縣さんとかね」
伊藤博文、山縣有朋のことである。
「それでよ」
「皆使ってて」
「それでね」
その為にというのだ。
「こちらもね」
「東京で使っていて」
「定着してね」
おいやこらの様にというのだ。
「それでね」
「私達もなのね」
「今もね」
「使ってるのね」
「そうよ」
「そうだったのね」
「昔の東京の言葉は」
江戸時代の江戸のそれはというのだ。
「もっとね」
「違ったのね」
「その頃は標準語なんてなかったし」
「標準語が出来たのって明治からね」
「そうだと思うわ、徳川家康さんだって」
江戸幕府を開いた彼もというのだ。
「標準語はね」
「喋ってなくて」
「公の場では武家言葉を使って」
そうしてというのだ。
「普段はね」
「あの人三河だから」
「あっちの言葉をね」
「使ってたのね」
「あれよ、名古屋弁よ」
七海はこれだと話した。
「今で言う三河星系の言葉ね」
「あそこの言葉って尾張星系の言葉と殆ど同じよね」
彰子は三河星系と聞いてこう言った。
「そうよね」
「ええ、名古屋弁って言われるね」
「その方言よね」
「家康さんはそれをよ」
「プライベートでは使っていたのね」
「信長さんや秀吉さんもで」
それでというのだ。
「家康さんもそうで江戸の言葉はね」
「使ってなかったわね」
「そう、それで江戸の方言は江戸時代に形成されて」
「その頃にはおいこらとかありますとかはなかったのね」
「本当に薩摩とか長州の言葉でね」
「江戸になかったのね」
「あと敬語なんかは」
七海はこちらの言葉の話もした。
「遊郭の言葉がね」
「元だったの」
「そうみたいよ、幕末の志士の人達がそこで遊んで」
「丁寧な言葉だって思って」
「真似てね」
花魁達の言葉遣いをというのだ。
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