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冥王来訪
第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
もう一つの敗戦国 その2
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マルクの金によってその独裁体制を維持させ、結果的にその寿命を永らえた。


 なぜ、そのようなことが起きたのか。
それは西ドイツ首相のそばにシュタージ将校が紛れ込むという前代未聞の事件があったからである。

 ブラント首相の最も信頼する秘書の一人に、ギュンター・ギヨームという男がいた。
後に判明するのだが、彼は国家人民軍将校で、シュタージ工作員だったのである。
つまりが東ドイツのスパイが、西ドイツ首相の筆頭秘書として近侍していたのだ。

 彼は若いころ、写真屋などの職を転々とした後、空軍に入隊し、戦時中NSDAPの青年組織にいた。
終戦後ベルリンに住んでいた時、シュタージにスカウトされ、SEDの秘密党員になった。
 シュタージの対外組織、中央偵察総局は彼を西ドイツ潜入の工作員として、フランクフルト市に送り込む。
 妻であり、女工作員でもあるクリステル・ボームがSPDヘッセン州南部地区事務所の秘書となったのを皮切りに、SPD内部に入り込み、フランクフルト市議にまでなった。
当時、権勢を誇ったレーバー運輸大臣の知己を得て、同大臣の秘蔵っ子として可愛がられた彼は、首相府の中に入り込むことに成功した。
 KGBの手助けを得て、連邦議会(西ドイツ議会)の議員を買収し、1972年4月27日の信任投票でブランドの勝利を確実にしたことである。
これにより、西ドイツは東ドイツと東西ドイツ基本条約を結び、東ドイツは正式に国家として承認された。



 彼の影響かははっきりわからないが、1969年以降ブラント政権が進めた「東方外交」はソ連を大いに利するものだった。
 西ドイツには、日本と同じようにソ連に占領された領土があった。
周囲を広い海で囲まれ、天然の国境がある日本と違って、ドイツの場合はすべて地続きだった故に、その返還交渉は、極めて困難だった。
 ブラント政権は、融和政策を合言葉にプロイセン王国始祖の地である東プロイセンの放棄を事実上認めた。
 これは日本政府がソ連占領下の南樺太の帰属をあいまいにし、その領土返還交渉を諦めるより早かった。
 また人道主義という美名に基づいて、「在外ドイツ人」の受け入れの取引として、ソ連に押し付けられたオーデル・ナイセ線を国境として認めた影響は計り知れなかった。



 シュタージの中央偵察総局とは何か。
疑問に思われる読者も多いであろう、簡単に説明したい。 
 別名、A総局とも呼ばれるこの部署は、東ドイツ建国時に秘密裏にKGBによって立ち上げられた。
KGBの第一総局をモデルにして、スカウトした青年たちを訓練し、200名のKGB工作員がスパイとして育て上げた。
その責任者は「ミーシャ」こと、マックス・ヴォルフで、KGBにより育てられた人物である。
 彼はロメオ工作員というリ
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