第七十話 平和だろその五
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「近所の人達が山の上からね」
「見物していたのよね」
「巻き込まれない様にして」
戦場の近くには寄らずにだ。
「そうしてね」
「戦見物ね」
「それをしていたわ」
「日本の戦争ってそんなものだったわね」
「刀持ったお侍さんの傍に寄らなかったら」
それならというのだ。
「別にね」
「大きな危害なかったわね」
「だから戦国時代でも」
それが源平の時代でも南北朝時代でもだ。
「人口減るどころか」
「かえって増えてたの」
「別に戸籍も荒れなかったし」
中国で戦乱の旅に人口が激減するのはこの為だという説がある、その証拠に晋の崩壊から長い間中国の人口は長い間南北合わせて一一〇〇万程だったが隋が統一し正確な戸籍調査をすると四六〇〇万となった。
「だからね」
「日本の戦争は危害及ばなかったのね」
「広場があってそこで小競り合いとかね」
そうしたというのだ。
「小さな勢力同士だとね」
「あったの」
「それでお百姓さんが畑仕事しながら」
そうしつつだ。
「またやってるとかね」
「見てたりしてたの」
「そうだったの」
これがというのだ。
「日本じゃね」
「他の国の戦争と違うわね」
「他の国はそうはいかないわね」
「今のアフリカだってね」
この諸国でもというのだ。
「そんな見物とかね」
「出来るものじゃないわね」
「難民になってでも」
そうでもしてというのだ。
「全力で逃げないとね」
「どうなるかわからないわね」
「そうよ」
まさにというのだ。
「本当にね」
「それが他の国の戦争ね」
「そうよ、本当にね」
「その日本でも泰平が一番って言ってたし」
だから江戸幕府も平和を必死に維持していたのだ、この政権は最早戦国の世ではないと言って武断から文治への政策転換を行ったのもそこに理由があったと言えるだろうか。
「もう平和を乱すことはね」
「させなかったわね」
「恰好までね」
それまでというのだ。
「お侍さんの」
「そうしてたのね」
「厳めしい恰好はさせないで」
戦国時代の様にだ。
「大人しい格好にね」
「されていたのね」
「そうしていたから」
他にも色々な平和的な政策を行っていった、もっと言えば平和を定着させる様なそれをであったのだ。
「やっぱり日本でも」
「戦争はないに限る」
「そう思われていたことはね」
「間違いないわね」
「天下泰平が」
留奈は言った。
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